ヨーロッパの歴史

1917年ロシア革命で何が起きたのか?革命からソ連建国までを徹底解説

1917年のロシア革命とは

1917年のロシア革命は、帝政ロシアに終止符を打ち、世界初の社会主義国家を誕生させた20世紀最大の転換点の一つです。革命は二月革命と十月革命の二段階で進み、その後の内戦、ソ連の成立、スターリン時代へと続く激動の歴史の幕開けとなりました。

二月革命(1917年3月)

ペトログラード(現サンクトペテルブルク)では、ストライキやデモ、軍隊の反乱が相次ぎました。デモ隊への発砲命令を拒否する兵士が数千人に上り、皇帝(ツァーリ)支配は崩壊。ニコライ2世は退位に追い込まれ、代わって臨時政府が樹立されました。

十月革命(1917年11月)

ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキ党は、臨時政府に対する武装蜂起を組織し、ペトログラードの主要な政府施設を掌握しました。ボリシェヴィキ側の武装勢力は冬宮を占拠して臨時政府の閣僚たちを逮捕しました(ケレンスキー首相は直前に脱出)。こうしてレーニン政権はロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国(RSFSR)を創設し、世界初の共産主義国家が誕生しました。

ロシア内戦

失脚した皇帝の支持者などを含む反ボリシェヴィキ勢力は「白軍」を結成し、赤軍と対峙。約3年に及ぶ内戦が勃発しました。レフ・トロツキーが指揮した赤軍が最終的に勝利を収め、ボリシェヴィキの権力が盤石なものとなりました。

新経済政策(NEP)

経済の危機的状況を受け、レーニンは純粋な共産主義政策からの「一時的な後退」となる新経済政策(NEP)を導入しました。一部の経済分野で私企業と市場メカニズムが認められ、経済は回復局面を迎えます。

レーニンの死と権力闘争(1922〜1924年)

1924年のレーニンの死後、トロツキーとヨシフ・スターリンの間で熾烈な権力闘争が展開されました。スターリンはライバルを次々と排除し、ソ連の唯一無二の指導者の座を確立していきます。

五カ年計画

スターリンはソ連の工業化を目指す野心的な経済開発計画「五カ年計画」を次々と打ち出しました。計画は急速な工業成長を実現した一方、広範な強制労働やウクライナのホロドモール(大飢饉)といった深刻な人道的犠牲を伴いました。

大粛清

スターリンによる大粛清は、共産党とソ連内部の潜在的な反対派や異論を一掃することを狙った政治的キャンペーンでした。この恐怖政治の時代に、数百万人が逮捕・追放・処刑され、多くの著名人も犠牲となりました。

第二次世界大戦

1941年6月、ナチス・ドイツがソ連に侵攻し、ソ連は第二次世界大戦に参戦します。ソ連は甚大な人的損害を被りながらも、ドイツ打倒に向けた連合国の勝利において決定的な役割を果たしました。

冷戦

第二次世界大戦の終結後、米国とソ連は超大国として台頭し、「冷戦」と呼ばれる世界的な対立構造が生まれました。両国は代理戦争、イデオロギー競争、地政学的な摩擦を繰り広げます。冷戦は1991年のソ連崩壊によってついに終焉を迎えたのです。