ヨーロッパの歴史

オスマン帝国が大量虐殺を行った対象となった集団とは?

オスマン帝国(トルコ)は、歴史上、複数の民族集団に対して大量虐殺(ジェノサイド)を行ったとして国際的に非難されています。その中でも特に知られているのが、第一次世界大戦中のアルメニア人虐殺です。

アルメニア人虐殺(アルメニア人ジェノサイド)とは

アルメニア人虐殺は「アルメニア・ホロコースト」とも呼ばれ、主に1915年から1917年にかけて、第一次世界大戦中のオスマン帝国政府によって組織的に実施された、アルメニア人に対する大量殺害と強制移住(追放)を指します。

この悲劇により、推定150万人のアルメニア人が命を落としたとされています。1915年4月24日、コンスタンティノープル(現イスタンブール)におけるアルメニア人知識人や指導者の一斉逮捕が虐殺の始まりとされ、現在もこの日が犠牲者追悼の日として記念されています。

その他の被害を受けた集団

オスマン帝国は、アルメニア人以外にも以下の集団に対して同様の迫害や虐殺を行ったとされています。

  • アッシリア人: 第一次世界大戦中、「サユフォ(Sayfo)」とも呼ばれるアッシリア人虐殺により、推定25万人前後が犠牲になったと考えられています。
  • ギリシャ人: 第一次世界大戦中から1919年〜1922年の希土戦争(ギリシャ・トルコ戦争)にかけて、ポントス地方や小アジアのギリシャ系住民が迫害・追放・虐殺の対象となりました。

歴史的評価と現在

これら一連の出来事は、20世紀初頭における民族浄化と大量虐殺の代表例として、多くの歴史家や研究者によって研究されています。ただし、トルコ共和国政府はこれらを「ジェノサイド」と認定することを拒否しており、当時の混乱の中での死者発生であるとの立場を取っているため、歴史認識をめぐる議論は現在も続いています。