ヨーロッパの歴史

カトリーヌ・ド・メディシスの息子たちとは?フランス王を輩出したヴァロワ朝の王子たち

カトリーヌ・ド・メディシス(1519年–1589年)は、フランス王アンリ2世の王妃であり、夫の死後は三人の息子たちが王位に就く間、フランス政界に絶大な影響力を及ぼした人物として知られています。彼女は10人の子どもをもうけましたが、成人まで生き延びた息子は以下の4人です。

1. フランソワ2世(1544年–1560年)

カトリーヌの長男で、1559年に父アンリ2世の急死を受けて即位しました。スコットランド女王メアリー・ステュアートを妃に迎えましたが、在位はわずか1年余り。体が弱く、16歳という若さで病に倒れました。治世中はまだ幼かったため、実権はギーズ家の貴族や母カトリーヌが握ることになりました。

2. シャルル9世(1550年–1574年)

兄フランソワ2世の死後に即位した次男です。1572年の「サン・バルテルミの虐殺」が起こった際の国王であり、この時期は母カトリーヌが政治を強く主導していたことで知られています。ユグノー戦争(宗教戦争)の混乱の中で統治を続けましたが、結核のため23歳で亡くなりました。

3. アンリ3世(1551年–1589年)

三男で、一時期ポーランド・リトアニア共和国の王にも選ばれた経歴を持ちます。兄シャルル9世の死去によりフランス王位を継ぎましたが、ヴァロワ朝としては最後の王となりました。1589年に暗殺され、直系の跡継ぎがなかったため、王位はブルボン家のアンリ4世へと受け継がれることになりました。

4. フランソワ、アランソン公・アンジュー公(1555年–1584年)

四男で、兄弟の中で唯一王位に就かなかった人物です。兄たちに男子の世継ぎが生まれなかったため、長年にわたりフランス王位の推定相続人でした。また、イングランド女王エリザベス1世との縁談が持ち上がったことでも有名ですが、結婚には至りませんでした。29歳で病死し、これによりヴァロワ朝の直系の断絶が決定的となりました。

このように、カトリーヌ・ド・メディシスの息子たちのうち3人はフランス王となり、末子も王位継承の鍵を握る重要な存在でした。しかし彼らはいずれも早世し男子を残せなかったため、約260年続いたヴァロワ朝は1589年に幕を閉じることになったのです。