ヘンリー8世の宗教とは
イングランド王ヘンリー8世(在位1509年~1547年)は、ローマ・カトリック教会から離反し、ローマ教皇庁と決別したことで広く知られています。1534年に制定された「国王至上法」により、彼はイングランド国教会の最高首長の座に就き、イングランドにおける宗教的権威を教皇から奪い取りました。
敬虔なカトリック信者だった青年時代
興味深いことに、若き日のヘンリー8世は非常に熱心なカトリック信者でした。1521年には、マルティン・ルターの宗教改革に反論する著作を発表し、その功績を認めたローマ教皇レオ10世から「信仰の擁護者(Defensor Fidei)」という称号を授与されています。この称号は、現在でもイギリス君主が名乗る正式な称号の一つとして受け継がれています。
ローマとの決別のきっかけ
ヘンリー8世がローマ教皇庁と対立するようになった直接的な原因は、最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンとの婚姻無効を求めたことにありました。男子の後継者に恵まれなかったヘンリーは、アン・ブーリンとの再婚を強く望みましたが、教皇クレメンス7世は神聖ローマ皇帝カール5世の圧力もあって婚姻無効を認めませんでした。
イングランド国教会の成立
1534年、ヘンリー8世は議会を通じて「国王至上法」を制定し、自らがイングランド国教会の最高首長であることを宣言しました。これにより、イングランドはローマ教皇の権威から完全に独立することとなります。さらに1536年から1541年にかけて修道院解散令を実施し、教会の膨大な財産を王権の下に収めています。
ヘンリー8世自身の信仰はどこまで変わったのか
ただし、ヘンリー8世個人の信仰は、必ずしも本格的なプロテスタントへの改宗だったとは言い切れません。彼は教皇の権威を否定しましたが、聖変化の教理などカトリック的な教義の多くは生涯保持し続けました。つまり、彼の宗教改革は教義上の転換というよりも、王権による教会支配の確立こそが主眼だったといえます。イングランドの本格的なプロテスタント化は、息子エドワード6世の治世において大きく進展することになります。