カッシウスはローマを統治していなかった
結論から言えば、カッシウス(ガイウス・カッシウス・ロンギヌス)がローマを統治した期間は一切存在しません。彼はローマの支配者ではなく、紀元前44年に起こったユリウス・カエサル暗殺計画の中心人物の一人として歴史に名を残しています。
カエサル暗殺陰謀の首謀者の一人
カッシウスはローマの元老院議員であり、有能な軍人でもありました。彼はマルクス・ブルータスらとともに、独裁的な権力を強め続けるカエサルを共和政への脅威とみなし、暗殺計画を主導しました。紀元前44年3月15日、いわゆる「3月15日(イドゥス・マルティアエ)」にカエサルは元老院議事堂で暗殺されますが、この陰謀においてカッシウスはブルータスと並ぶ重要な役割を担っていました。
フィリッピの戦いとその最期
暗殺後、カッシウスら共和派はローマを追われ、東方へと逃れました。しかし、カエサルの後継者を自称するオクタウィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)とマルクス・アントニウスの連合軍との対決は避けられないものとなりました。紀元前42年、ギリシャのフィリッピで行われた決戦において、カッシウス率いる軍は敗北します。味方からの誤報により戦況を絶望視した彼は、自ら命を絶ったと伝えられています。その数週間後にはブルータスも敗れて自害し、共和派の勢力は完全に崩壊しました。
まとめ
カッシウスはローマを統治したことは一度もなく、その名は「カエサル暗殺への関与」と「フィリッピの戦いでの悲劇的な最期」によって記憶されています。彼の死は、ローマが共和政から帝政へと移行する大きな転換点の象徴とも言えるでしょう。