ヨーロッパの歴史

なぜイングランドは百年戦争で敗れたのか?――初期の圧倒的優勢から最終的な敗北まで

「イングランドは百年戦争に負けていない」という主張を目にすることがありますが、歴史的事実としては、最終的に勝利したのはフランス側です。確かに、クレシーの戦い(1346年)、ポワティエの戦い(1356年)、アジャンクールの戦い(1415年)では、ロングボウ(長弓)を操るイングランド軍がフランス騎士団に壊滅的な打撃を与え、一時はパリを脅かすほど優勢でした。1420年のトロワ条約では、フランス王シャルル6世がヘンリー5世とその子孫の王位継承を認めるなど、イングランドは頂点に達しかけていました。

しかし、戦争末期の1453年には、イングランドは南仏ガスコーニュの中心都市ボルドーをも失い、大陸に残った所領はカレーのみとなりました。つまり、百年戦争全体としてはイングランドの敗北で結末を迎えたのです。では、なぜ当初圧倒的に有利だったイングランドは、最後に敗れ去ったのでしょうか。主要な要因を順に見ていきましょう。

1. ジャンヌ・ダルクによるフランスの再建

1429年、農民出身の少女ジャンヌ・ダルクがオルレアンの包囲を解き、王太子シャルル7世をランスで戴冠させたことは、フランスの士気を劇的に回復させました。彼女自身は1431年に処刑されましたが、「神の名のもとに戦うフランス」という国民的な熱狂は収まることなく、戦争の潮目を大きく変えました。

2. シャルル7世による軍制改革

シャルル7世はヨーロッパ初の本格的な常備軍である「オルドナンス中隊」を創設し、さらに砲兵部隊を整備しました。ブル兄弟率いる王立砲兵隊は攻城戦で決定的な役割を果たし、かつてロングボウの前に無力だったフランス軍は、組織力と火薬技術の進歩によって質的に逆転します。

安定した財政基盤の確立

三部会(身分制議会)の同意なしに恒久的に徴税できる体制を作り上げた点も見逃せません。これによりフランス王室は長期戦を継続できる安定した財源を手に入れました。

3. ブルゴーニュとの同盟崩壊

戦争の帰趨を左右したのは、ブルゴーニュ公国の動向です。父ジャン無怖公暗殺への報復からイングランドと組んでいたフィリップ善良公は、1435年のアラス条約でフランス側に離反しました。パリを奪還されたイングランドは、以後守勢に追い込まれます。

4. イングランド側の内紛と指導力の欠如

ヘンリー5世の早逝(1422年)後、幼君ヘンリー6世の宮廷は派閥抗争に明け暮れ、統一的な指導力を欠いていました。サフォーク公やサマセット公らの失策が重なり、ノルマンディー(1450年、フォルミニーの戦い)、続いてギュイエンヌ(1453年、カスティヨンの戦い)を相次いで喪失。老将タルボット卿もカスティヨンで討ち死にしています。戦後まもなくイングランド国内では薔薇戦争が勃発し、対仏政策を続ける余裕すら失われることになりました。

まとめ

百年戦争におけるイングランドの敗北は、単なる軍事的劣勢の帰結ではなく、フランス側の国家改革と国民意識の覚醒、同盟関係の変化、そして自国の政治的混乱が複合した結果でした。皮肉なことに、この敗北は両国にとって大きな転機となります。フランスは中央集権的な強固な王権を確立し、大陸の足掛かりを失ったイングランドは、後に海洋国家としての道を歩み始めるのです。