実は、アメリカ合衆国はメキシコにおけるフランスの支配に明確に対抗していました。この対立が、後に「フランスのメキシコ干渉」として知られる紛争(1861年~1867年)へと発展することになります。
フランス干渉戦争とは
1861年、メキシコが対外債務の支払い停止を宣言したことを口実に、フランス第二帝政のナポレオン3世はメキシコへの軍事介入を開始しました。フランス軍は首都メキシコシティを占領し、オーストリア大公出身のマクシミリアン1世を皇帝に擁立する「第二次メキシコ帝国」を樹立します。
アメリカによるフアレス政権への支援
これに対し、アメリカ合衆国は正統な共和制政府であるベニート・フアレス政権を支持する立場を取りました。当時は自国も南北戦争の真っ只中でしたが、それでもアメリカはメキシコ政府に対して経済的・軍事的な援助を提供しています。
さらにアメリカは、フランスが占領軍を撤退させない場合には宣戦布告も辞さないという強硬な姿勢を示し、外交的な圧力をかけ続けました。
戦争の結末とマクシミリアン1世の最期
南北戦争の終結後、アメリカからの圧力は一層強まり、フランス国内でも費用のかさむ遠征への批判が高まっていきました。こうした状況を受けて、ナポレオン3世は1867年に駐留軍の全面撤退を決断します。
フランスの後ろ盾を失ったマクシミリアン1世はまもなく捕らえられ、メキシコ共和国政府によって処刑されました。こうしてメキシコは外国勢力の支配を退け、共和制を取り戻すこととなったのです。