ヨーロッパの歴史

ドイツの民族主義者たちは何を目指したのか?――統一国家「第二帝国」への道

19世紀のドイツ民族主義者たちが掲げた最大の目標は、分裂していた多数のドイツ諸邦をひとつの国民国家へと統合することでした。この構想は「大ドイツ(Großdeutschland)」とも呼ばれ、後に成立する統一国家は「第二帝国(第二ライヒ)」として位置づけられました。

民族主義運動が目指したもの

彼らの理想の中核にあったのは、国民の統一・国力の増強・民族的誇りの醸成です。単なる政治的な領土統合にとどまらず、共通の言語、文化、歴史、そして民族的アイデンティティを基盤とした「ドイツ人」という意識を育てることが重視されました。

当時のドイツは、神聖ローマ帝国の解体後、プロイセンやオーストリア、バイエルンなど大小さまざまな国家が乱立する分断状態にありました。ナポレオン戦争やフランスへの対抗意識は、「ひとつのドイツ」という理念を民衆の間に広める大きな原動力となりました。

1848年革命と統一運動の高まり

ドイツにおける民族主義運動が本格的に勢いを増したのは19世紀に入ってからです。特に1848年の三月革命では、フランクフルト国民議会が自由主義的で統一されたドイツ国家の樹立を試みました。この試みは最終的に失敗しましたが、統一への機運を決定的に高めた点で歴史的な意義を持っています。

また、統一のあり方をめぐっては、オーストリアを含む「大ドイツ主義」と、オーストリアを除外してプロイセン中心とする「小ドイツ主義」という二つの路線が対立しました。

ビスマルクによる1871年の統一

こうした流れの中で現実の統一を実現したのが、プロイセンの首相オットー・フォン・ビスマルクです。彼は「鉄血政策」と呼ばれる強硬な現実政治を展開し、1864年のデンマーク戦争、1866年の普墺戦争、1870〜71年の普仏戦争を通じてドイツ諸邦をプロイセンの主導下にまとめ上げました。

そして1871年1月、ヴェルサイユ宮殿においてドイツ皇帝の即位が宣言され、ドイツ帝国(第二帝国)が正式に成立しました。これにより、長年の夢であったドイツ統一が達成され、中央ヨーロッパに強大な国民国家が誕生することとなったのです。