古代の歴史

武装親衛隊の隊員はなぜ左腕にタトゥーを入れていたのか?その目的と戦後の悲劇

武装親衛隊と謎の「腕のタトゥー」

第二次世界大戦中のドイツ軍において、武装親衛隊(Waffen-SS)はナチス・ドイツの精鋭部隊として知られていました。武装親衛隊は、ハインリヒ・ヒムラーが率いた親衛隊(SS、Schutzstaffel)の傘下にある戦闘部門であり、もともとはナチ党の要人警護を目的とした組織でしたが、やがて戦争が激化するにつれ、正規軍に匹敵する大規模な戦闘部隊へと拡大していきました。

そして興味深いことに、この武装親衛隊の隊員たちには共通した特徴がありました。それは、左腕の内側に入れられた小さなタトゥーです。この刺青には何が彫られていたのでしょうか。

タトゥーの内容は「自分の血液型」

武装親衛隊の隊員の多くは、左腕の内側、主に二の腕の付け根あたりに、数ミリ程度のごく小さな文字を入れていました。そこに彫られていたのは、A型、B型、AB型、O型という自分の血液型です。

その目的は極めて実用的なものでした。戦場では、負傷して意識を失った兵士や、身分証明票(Erkennungsmarke、エルケンヌングスマルケ)を紛失した兵士に対して、緊急の輸血を行わなければならない場面が頻繁に発生します。しかし、血液型が分からなければ輸血はできません。そこで、体に直接血液型を刻んでおけば、書類やタグを確認するまでもなく、一目で適合する血液型を判別できるというわけです。

当時のドイツ軍は衛生面や医療体制への関心が高く、この血液型タトゥーは効率的な救護活動の一環として導入されました。後にドイツ国防軍(Wehrmacht)の一部部隊でも同様の慣例が取り入れられたと言われています。

戦場での利点が、戦後には「有罪の証拠」に

ところが、この一見便利な仕組みは、終戦とともに一転して隊員たちを苦しめることになりました。

1945年にドイツが降伏すると、連合国はナチスの戦争犯罪を徹底的に追及しました。武装親衛隊は強制収容所の運営や虐殺事件への関与が疑われた組織でもあり、元隊員の特定は重要な課題となりました。ここで決定的な手がかりとなったのが、あの左腕の血液型タトゥーだったのです。

捕虜となった元隊員たちは、この小さな刺青によって武装親衛隊出身者であることが容易に見抜かれ、尋問や裁判、強制労働などの処遇を受けることになりました。

消そうとしたタトゥーは、かえって目立った

当然ながら、多くの元隊員はこの「証拠」を消し去ろうとしました。タバコの火で焼く、刃物で削る、あるいは外科的に切除するなど、方法はさまざまでした。

しかし結果は残酷なものでした。皮膚を焼いたり削ったりしても、完全に消すことは困難で、むしろ不自然な火傷の跡や傷跡が残ることになりました。しかも、その場所が左腕の内側という特定の位置であるため、「タトゥーを消した痕跡」自体が逆に武装親衛隊出身であることの明白な証拠になってしまったのです。

皮肉なことに、何もしない場合よりも、消そうとした痕跡の方がよほど目立ち、「自白」よりも雄弁に語ってしまう結果となりました。

まとめ

武装親衛隊の血液型タトゥーは、戦場で兵士の命を救うために導入された合理的な制度でした。しかし戦争が終わると、それは隊員の身元を暴き、過去と向き合うことを余儀なくさせる「烙印」となりました。同じ印が、ある時期には救命の手段であり、別の時期には追責の証拠となる——この小さなタトゥーは、戦争の非情な現実を象徴する存在といえるでしょう。