18世紀のスペイン継承戦争以来、イベリア半島の「ジブラルタルの岩」を支配し続けてきたイギリスは、第二次世界大戦の開戦時には東南アジアにもう一つのジブラルタル――「東のジブラルタル」シンガポール――を有していた。
そして1941年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃と同時にマレー作戦を発動する。山下奉文中将率いる第25軍はマレー半島北部に上陸し、タイおよびマレーの占領へと向かった。この作戦の帰結として、1942年2月、イギリス軍はシンガポールから放逐されることとなる。
南だけを向いた「難攻不落の要塞」
マレー半島を失ったイギリス軍は、拠点たるシンガポール島へ撤退した。日本軍機の圧倒的な物量を前に制空権を喪失していたものの、将兵たちは依然として安泰を信じていた。シンガポールには8万人を超える守備隊と対空砲火、南からの海上攻撃を粉砕するための重砲群が備わり、北側はジャングルとマングローブの密林が天然の防壁となっていたからだ。
あらゆる兵力と砲兵は南正面に集中配置された。理論上、攻撃を受け得るのは海側――南のみ。そう考えられていたのである。
ジャングルを走る「自転車部隊」
日本軍もまた、マングローブや密林の中では重砲も戦車も前進できないことを熟知していた。だが日本軍には別の答えがあった。自転車に乗った歩兵ならば、ジャングルを抜けて進軍できる――そう判断したのである。

実際、日本軍の歩兵は現地で調達した自転車(多くは住民から徴発したもの)を駆使して機動力を獲得し、狭い道や小径を縫うように疾走した。タイヤがパンクしてもそのまま鉄輪で走り続け、その轟音が戦車部隊の進軍と誤認されるほどだったという逸話も残っている。後に「自転車電撃戦」と呼ばれることになるこの機動戦術により、日本軍は瞬く間に展開し、複数の正面から同時に攻撃を仕掛けた。
イギリス軍が対応しようとした頃には、すでに手遅れだった。北側の防衛線は突破され、要塞の背後は崩壊していたのだ。
わずか7日で陥落――8万人の捕虜
1942年2月8日、日本軍は柔軟なゴムボートを用いて海峡を越え、シンガポール島への攻撃を開始した。わずか7日後の2月15日、「難攻不落」と謳われた要塞は陥落。インド人・イギリス人・オーストラリア人からなる8万人を超える将兵が捕虜となり、これは当時のイギリス史上最大規模の降伏となった。
チャーチルの言葉
この惨敗について、ウィンストン・チャーチル首相はこう述べている。
「これは英国史上最悪の惨事である」
「東のジブラルタル」の失陥は、アジアにおけるヨーロッパ列強の威信を決定的に揺るがし、その後の太平洋戦争の行方を大きく左右することとなった。

出典・画像:History learning site、Historynet、Battle of Singapore