第二次世界大戦中のイタリア戦線で起きた悲劇の一つに、「マロッキナーテ(Marocchinate)」と呼ばれる集団暴行がある。これは、アルフォンス・ジュアン将軍率いるフランス遠征軍団(FEC)の植民地部隊が、モンテ・カッシーノの戦いでドイツ軍を打ち破る直前に受けた訓示に端を発するものである。
「この戦いに勝てば、50時間にわたって、敵陣の向こうで見つけた一切のものの絶対的な支配者となる。何をしようと処罰されることはないし、奪ったものについて説明を求められることもない……」
そして彼らは、この言葉を文字どおり実行に移したのである。
ローマを目指す連合軍と「グスタフ・ライン」
南イタリア上陸後、ナポリを拠点とする連合軍の目標はローマの解放にあった。距離はわずか200km余りだったが、1943年冬の厳しい気象条件と、ドイツ軍が幾重にも張り巡らせた防御線による粘り強い抵抗のため、進撃は容易ではなかった。
なかでも最大の難所となったのが、首都から約100kmの地点に構築されたグスタフ・ライン(冬季線)である。その主軸はカッシーノの町と、とりわけローマへ通じる街道を見下ろす標高約520mの岩山の上に建つモンテ・カッシーノ修道院に置かれ、ローマへの道を守る戦略的要衝となっていた。
廃墟と化した修道院に立てこもるドイツ軍を打ち破るには、1944年1月から5月までの4か月間と数回にわたる攻撃が必要だった。連合軍の激しい爆撃で崩壊した修道院跡をめぐる戦いでは、山岳戦を得意とするネパール人のグルカ兵、北アフリカ出身のグミエ(Goumiers)、さらに隊列に熊のヴォイテクを擁したポーランド軍第2軍団などが特筆すべき活躍を見せている。

▲ フランス遠征軍団のグミエ兵たち
グミエとは何者だったのか
グミエという名称は、もともと1900年代前半にフランス軍の同盟部隊として南アルジェリアで戦った非正規の部族兵に与えられたものであり、のちにフランス遠征軍団所属のモロッコ植民地部隊を指すようになった。
そして、ジュアン将軍の悪名高い訓示を額面どおりに受け取ったのが、まさにこのグミエであった。モンテ・カッシーノ陥落後に起きた一連の暴虐には、固有の名称まで与えられている。それが「マロッキナーテ」——FEC士官たちの黙認のもと、グミエ兵たちが男女・年齢を問わず一般市民に対して行った組織的な強姦である。
「少なくとも6万人の女性が犠牲に」
「マロッキナーテ犠牲者全国協会(L'Associazione Nazionale Vittime delle Marocchinate)」会長のエミリアーノ・チョッティ氏は、次のように述べている。
「今日までに集められた数多くの資料から、少なくとも2万件の強姦が発生したと言える。しかし、この数字は実態を反映していない。当時の複数の医療記録は、恥や羞恥心のために被害を届け出なかった女性が3分の1に上ると指摘している。シチリア島で始まりフィレンツェの門前で終わった『フランス遠征軍団』による暴虐(この言葉はモンテ・カッシーノの戦いの後に生まれたが、グミエが襲った町村は他にも数多く存在する)を、どう総括すればよいのか。少なくとも6万人の女性が強姦され、その多くは繰り返し被害を受けたと断言できる」
医療記録は、被害の苛烈さを裏付けている。暴行による身体の裂傷、抵抗する犠牲者が噛みつけないよう折られた歯、妻や母、娘を守ろうとした男性に特に加えられた去勢や刺殺、四肢の切断……。さらに梅毒や淋病といった性感染症が蔓延し、米軍供給のペニシリンだけがこの地域を疫病の惨禍から救ったという。エスペリアの教区司祭アルベルト・テリッリ神父は、3人の女性を助けようとして拷問を受け、暴行の被害に遭っている。当時の生存者たちの証言映像(イタリア語・英語字幕付き)も残されており、悲劇の大きさを今に伝えている。
黙認された犯罪、そして半世紀後の謝罪
ジュアン将軍は、自軍の兵士が犯した暴力を最後まで公式に非難することはなかった。
1944年6月18日、教皇ピウス12世はシャルル・ド・ゴールに対し、事態への対応を促した。翌年までにフランスの法廷は、イタリア国内で起きた事件に関連して360人のモロッコ人を起訴した。だが、それは氷山の一角にすぎなかった。そして2004年11月26日、モロッコ元従軍者団体の会長アフミド・ベンラハラテ氏が、モンテ・カッシーノで起きた出来事について公式に謝罪を行ったのである。

▲ 映画『ひばりの丘』より
小説と映画が伝えた悲劇
1957年、作家アルベルト・モラヴィアは小説『チョッチャーラ(La ciociara)』を発表した。占領下のイタリアで必死に生き延びようとする母チェジーラと娘ロゼッタの物語であり、避難先のチョッチャーリア地方が解放された直後、娘ロゼッタはグミエ兵たちによって無残な暴行を受ける。
1960年、ヴィットリオ・デ・シーカ監督がこの小説を映画化した(原題Two Women/日本題『ひばりの丘』)。主演を務めたソフィア・ローレンはアカデミー主演女優賞に輝き、英語以外の言語による演技に対してこの賞が授与された史上初の例となった。
参考資料:Michele Strazza『Gli stupri nelle guerre mondiali』、マロッキナーテ犠牲者全国協会