古代の歴史

コルネリア・キンナ――ユリウス・カエサルの最初の妻の生涯

コルネリア・キンナとは

コルネリア・キンナ(紀元前94年頃 – 紀元前68年または69年)は、共和政ローマ末期の政界において重要な役割を果たした女性です。彼女は、ガイウス・マリウス派の主要指導者の一人であったルキウス・コルネリウス・キンナの娘として生まれました。

紀元前83年、コルネリアは若きガイウス・ユリウス・カエサルと結婚し、二人の間には一人娘ユリアが生まれました。このユリアは後の紀元前60年に、ポンペイウス(ポンペイウス・マグヌス)へと嫁ぐことになります。

スッラの粛清とカエサルの選択

当時のローマでは、マリウス派とスッラ派の激しい対立が政局を支配していました。カエサルは、マリウスの未亡人であった自分の伯母ユリアとの親族関係に加え、キンナ家との婚姻関係によって、マリウス派に強く結びついた存在でした。

そのため、独裁官スッラがマリウス派への大規模な粛清(プロスクリプティオ)に乗り出すと、カエサルは真っ先に標的となる立場に置かれました。スッラはカエサルに対し、妻コルネリアとの離婚を命じましたが、カエサルはこれを毅然として拒否しました。

この拒絶により危険にさらされたカエサルは、ローマを去り、数か月間にわたり身を隠して暮らしました。最終的には、母方の親族や有力者たちの強力な働きかけによって赦免され、一命を取り留めることとなります。この逸話は、若き日のカエサルが権力に屈しない胆力を持っていたことを示すものとして語り継がれています。

早すぎる死と演壇での弔辞

コルネリアは、カエサルが財務官(クァエストル)としてヒスパニア属州へ赴任する直前に亡くなりました。カエサルは、少し前の伯母ユリアの葬儀と同じように、フォルム・ロマヌムの演壇(ロストラ)から自ら弔辞を述べました。

当時の慣例では、如此に若い女性のための弔辞を公の場で述べることは異例のことでした。ローマの民衆は、この行為にカエサルの繊細さと深い愛情の表れを見出し、大きな感銘を受けたといいます。

しかし一方で、決して無目的な行動を取らないカエサルにとって、この弔辞には別の意味合いがあったと考えられています。伯母ユリアの葬儀の場合と同様に、著名な先祖たちの業績に言及することで、自らの政治的な忠誠心と家門の正当性をアピールする絶好の機会だったのです。私生活での悲しみと、政治家としての計算が同居した出来事といえるでしょう。