古代の歴史

スイスの異端審問と魔女狩り――アルプスに潜んだ恐怖の歴史

スイスの異端審問と魔女狩り――アルプスに潜んだ恐怖の歴史

約300年前の処刑――スイス各州が清算した「魔女」の記憶

魔女狩りはスイスの歴史に深い爪痕を残しました。スイスの各カントン(州)は、およそ300年前に処刑された最後の「魔女」たちを、一つひとつ名誉回復させていきました。これは単なる過去の清算ではなく、近代社会が自らの歴史と向き合う象徴的な営みとなっています。

ペストという災厄が生んだ「犯人探し」

近世ヨーロッパでは、ペストをはじめとする度重なる災厄のたびに、人々はその「責任者」を探し求めました。疫病や飢饉、天災の原因を悪魔の手先に求める風潮は、恐怖と不安が渦巻く時代が生んだ産物だったのです。

1420年代、ヴァレー州から始まった魔術弾圧

魔術に対する本格的な弾圧は、1420年代にフランス語圏スイス、とりわけヴァレー州で始まりました。この地域ではすでに異端審問所が異端者への裁きを行っており、その網は次第に「魔女」へと向けられていきます。1428年頃にヴァレー州で行われた大規模な魔女裁判は、ヨーロッパにおける魔女狩りの先駆けとして知られています。

アルプスに広まった「悪魔崇拝」とサバトの物語

15世紀初頭、悪魔崇拝――いわゆるサバト(魔女の夜の集会)の噂がアルプス地方で語られ始めました。夜ごと集まって悪魔に仕え、不敬虔な儀式を執り行う者たちがいる――こうした想像上の脅威が、やがて現実の弾圧の口実となっていったのです。

キリスト教社会が恐れた「内なる敵」

それ以降、キリスト教社会にとってのあらゆる「危険」が狩りの対象となりました。悪魔と結託する宗派、魔術師、そして超自然的な力を持つとされる個人――人々は常に監視の目を光らせていました。当時の恐怖心は、新約聖書の一節を思わせる言葉によく表れています。

「肉の業は明白である。不道徳、不潔、放縦、偶像礼拝、魔術。人々は互いに憎み合い、争い、ねたみ合い、怒りと対立に支配される。彼らは反目しあう党派や集団に分裂する。これこそが、キリスト教社会が恐れるものなのである。」

宗教改革も終わらせなかった悪魔との戦い

プロテスタントの登場は、こうした狂気を鎮めるどころか、むしろ状況を複雑にさせました。カトリックとプロテスタントの対立が深まる中、「地上における悪魔の影響」との戦いは衰えることを知りません。

1553年には、異端の罪に問われた神学者ミシェル・セルヴェ(ミゲル・セルベト)が火刑に処されました。そして宗教改革者のジャン・カルヴァンが亡くなる1564年まで、ジュネーヴには恐怖政治とも呼ぶべき緊張感が漂い続けたのです。

ジュネーヴ――異端審問の中心地、そして終焉の地

皮肉なことに、異端審問の影が最も濃く落ちた都市こそジュネーヴであり、同時にそれを最も早く終わらせたのもまたこの街でした。1652年、ミシェー・ショードロン(Michée Chauderon)の処刑をもって、ジュネーヴにおける魔女裁判の時代は幕を下ろしました。

なお、スイス全土で見れば、1782年にグラールス州で処刑された使用人のアンナ・ゲルディ(Anna Göldi)が「ヨーロッパ最後の魔女」として知られています。長い歳月を経て、スイスはようやくこれら無実の犠牲者たちの名誉回復に取り組んでいるのです。