古代の歴史

リシュリュー枢機卿の銃士隊(紅衛兵)の真実

枢機卿の銃士隊の誕生

リシュリュー枢機卿は、フランス王弟ガストン(オルレアン公)をはじめとする政敵から、度々命を脅かされていました。そこでルイ13世は、枢機卿に個人的な護衛部隊の創設を命じました。この親衛隊はやがて、彼に仕える正式な銃士隊へと発展していきます。

リシュリューは、教会を象徴する色――すなわち赤――を基調とする独自の護衛隊を望みました。このことから、枢機卿の衛兵たちは「紅衛兵」として知られるようになったのです。

国王の銃士隊との違い

国王直轄の銃士隊が銃士隊長の指揮下に置かれていたのに対し、枢機卿の銃士隊はリシュリュー本人の直接指揮を受けていました。両者はしばしばライバル関係にあり、アレクサンドル・デュマの名作『三銃士』にも、国王の銃士と枢機卿の衛兵との対立が鮮やかに描かれています。

親衛隊の起源と任務

もともとリシュリューは、大臣として国王の家政機関(メゾン・デュ・ロワ)による保護を受けていました。しかし1626年のシャレーの陰謀を機に、ルイ13世は彼に対し、50名のアルケビューズ銃兵からなる専属の親衛隊を与えました。

ただし、彼らには国王の面前で枢機卿を守る権限はありませんでした。国王の臨席においては、近衛兵が両者の安全を共に確保する役割を担っていたためです。

さらに興味深い点として、銃士たちの本来の任務は国王の身辺警護そのものではありませんでした。彼らの主な仕事は、宮廷内外における奉仕活動、具体的には伝令役や、移動の際の護衛などだったのです。