
- 1854年当時のフランス胸甲騎兵の鎧
胸甲騎兵(キュイラッシエ)とは
胸甲騎兵(Cuirassier/キュイラッシエ)とは、胸部と背部を覆う金属製の鎧「キュイラス」を身につけた重装備の騎兵のことです。その名称は、まさにこの胸甲に由来しています。
ナポレオン時代の編制
ナポレオン・ボナパルトは共和暦12年ヴァンデミアール1日(1803年9月24日)の軍制改革により80個の騎兵連隊を再編成し、そのうち12個連隊を胸甲騎兵としました。1807年には各連隊が4個中隊から5個中隊編成となり、定員は1,040名に達します。1809年に第5中隊が廃止されたものの、総兵力は減少しませんでした。さらに1810年には第13連隊、1812年には第14連隊が新設されています。なお、胸甲騎兵に求められる最低身長は1.73mと定められていました。
重騎兵としての位置づけ
胸甲騎兵はカビネ(カービン銃兵)とともに「重騎兵」に分類されました。これに対し、竜騎兵や槍騎兵は「戦列騎兵」、ユサールや猟騎兵(シュヴァルレジェ)は「軽騎兵」と呼ばれます。
武装と突撃の威力

- 胸甲騎兵の兜と顔面
彼らは胸甲と背甲からなる「キュイラス」で身を守り、武装としてカービン銃、真っすぐな刃を持つサーベル、そしてピストル2丁を携行していました。その突撃の威力は圧倒的で、俗に「兄貴分(グラン・フレール)」あるいは「鉄の人間たち」という愛称でも親しまれました。バルザックは『シャベール大佐』で、またヴィクトル・ユゴーは『レ・ミゼラブル』の中で、戦場全体を揺るがすほどの胸甲騎兵の突撃を生き生きと描写しています。
連隊は中隊と騎兵中隊(スクアドロン)によって編成され、1個スクアドロンの定員は200名でした。
機械化時代への転換
20世紀に入ると軍隊の機械化に伴い、これらの連隊は装甲連隊へと改編されました。それでも一部の部隊は今日まで「胸甲騎兵連隊」の名称を受け継ぎ、AMX-30やルクレールといった最強クラスの戦車を装備しています。
フランス胸甲騎兵連隊の一覧

- 背面から見た胸甲騎兵
フランス軍において、赤は胸甲騎兵の伝統色とされています。また、各連隊は通称「クイール(革)」と呼ばれ、第1クイール、第2クイールのように親しまれてきました。
- 第1胸甲騎兵連隊:旧体制下では「チュレンヌ騎兵」または「騎兵大将校」と呼ばれた名門。1631年創設で、1651年から1657年まで名将チュレンヌが指揮を執りました。モットーは「Certum Monstrat Iter(我ら道を示す)」。1999年6月5日以降、カルピアーニュに駐屯する第1‐11胸甲騎兵連隊の一部です。
- 第2胸甲騎兵連隊:1635年にリシュリューによって創設され、「枢機卿公」の名を経て、1643年に「王立騎兵」と改称。
- 第3胸甲騎兵連隊:1645年に「総監(コミッショネール・ジェネラル)」として創設され、1815年に解散。
- 第4胸甲騎兵連隊:1643年に「太后(ラ・レーヌ・メール)」の名で創設され、1666年に「王妃(ラ・レーヌ)」と改称。
- 第5胸甲騎兵連隊:1653年創設。1725年に「スタニスラス王」、1737年に「王立ポーランド」と改称。
- 第6胸甲騎兵連隊:1635年に「枢機卿の竜騎兵」として創設され、1638年に「閣下の乗馬銃兵」、1643年以降は「国王の乗馬銃兵」、そして1646年に「国王連隊」となりました。
- 第7胸甲騎兵連隊:1659年、フランスに仕えた複数の外国人連隊を統合して創設。
- 第8胸甲騎兵連隊:1665年に「古参国王胸甲騎兵」として創設。
- 第9胸甲騎兵連隊:1666年に「アルトワ」の名で創設。1946年解散。
- 第10胸甲騎兵連隊:1643年に「王立クラヴァット(クロアチア人部隊)」として創設。1940年解散。
- 第11胸甲騎兵連隊:1693年の銃兵中隊統合に伴い創設。「王立ルシヨン」の後継であり、同連隊自体は1668年にモンクラール・カタラン連隊から派生しました。1999年6月5日以降、カルピアーニュ駐屯の第1‐11胸甲騎兵連隊の一部です。
- 第12胸甲騎兵連隊:1668年に「ドーファン騎兵」の名で創設。
- 第13胸甲騎兵連隊:1807年創設、1814年解散。1891年に再編されたものの、1913年に再度解散。
- 第14胸甲騎兵連隊:1812年創設。

- メソニエ筆「胸甲騎兵」