
ルイ・ディオとは
ルイ・ディオ(Louis Dio、1908年10月14日 - 1994年6月15日)は、フランスの軍人です。ブルターニュ地方の都市ヴァンヌに生まれ、南仏トゥーロンでその生涯を閉じました。第二次世界大戦中、フィリップ・ルクレール将軍率いる自由フランス軍の中核を担い、戦後もフランス陸軍の最上位階級にまで昇りつめた人物です。
軍人としての出発
ディオは1928年、名門サン・シール陸軍士官学校を卒業すると、植民地軍への配属を選択しました。異郷での勤務を志したこの決断が、彼の軍人生涯の方向性を大きく左右することになります。
1939年には大尉としてティベスティ遊牧部隊の指揮官を務め、その後、カメルーンのドゥアラへ転属。本土フランスへの増援として派遣される予定の中隊の編成にあたりました。しかし1940年6月、フランスがナチス・ドイツとの休戦協定を結んだとき、彼ははるか離れたフランス領赤道アフリカにいました。
自由フランスへの参加
転機が訪れたのは1940年8月26日のことです。ロンドンから渡り、フランス領赤道アフリカを自由フランス陣営へ引き込もうとしていたルクレール指揮官に対し、ディオは自らの協力を申し出ました。こうして彼は、占領下の祖国を取り戻すための闘いに身を投じることとなります。
第2機甲師団とフランス解放
1943年、大佐に昇進していたディオは、ルクレール将軍がモロッコで新編したばかりのチャド行進連隊の指揮官に就任しました。この部隊は1944年8月にノルマンディーに上陸し、第2機甲師団(2e DB)の一員としてパリ解放をはじめとするフランス解放作戦に参加しています。
1945年6月、ディオは恩師ルクレール将軍の後任として第2機甲師団長に就任。さらに同年10月には、フランス陸軍史上最年少の准将となり、その才能を高く評価されました。
戦後の経歴
終戦後、ディオはチュニジア南部の文民・軍事司令官に任命されます。1951年からは極東へ赴任し、カンボジア駐留軍司令官兼共和国高等弁務官としてインドシナ情勢に関わりました。
1955年に少将へ昇進すると、フランス領赤道アフリカ方面軍最高司令官を務め、1958年の中将(軍団将軍)昇進後は海外派遣軍参謀総長に就任します。そして1965年、ついにフランス陸軍の最高位である大将(軍将軍)に昇進し、陸軍総監察官を拝命しました。
また1962年から1969年にかけては、自由フランス協会の会長を務め、戦友たちの絆を守り続けました。
晩年
1969年に退役したディオは、トゥーロンへ隠棲し、静かな余生を送りました。1994年6月15日、85歳でこの世を去っています。植民地軍の若き士官から自由フランスの名将へ――ルイ・ディオの歩みは、20世紀フランス軍史の縮図とも言えるものです。