古代の歴史

36. ジャワ島最後の日

4月23日、ついにジャワ島との別れの日を迎えた。朝6時にホテルのロビーでお茶をしようと降りていくと、昨夜と同じ場所で、あの笑顔の少女が変わらず客を迎えていた。今日はジャカルタからニューデリー行きの飛行機に乗らなければならない。私はディーパを連れていたが、彼女はディーパと握手を交わした。

ディーパを彼女に預け、私はお茶を飲みに行った。ほどなくヴィジャイも合流した。ホテルのフロントに立っていた若い男性に、空港までの無料送迎サービスについて尋ねると、朝7時と8時の2便があるとのこと。時刻はすでに6時半を回っていたので、7時の送迎を予約した。35分ほどで支度を整えロビーに降りると、タクシーが待っていた。ホテル・ポップからジャカルタ空港まではわずか2キロ。7時20分頃には国際線ターミナルに到着した。

ジャカルタ空港にて

フライトは11時30分発。インドネシア・エアアジアの国際便で、クアラルンプール経由でニューデリーへ向かうルートだ。空港に着いてまず行ったのは両替。ポケットに残ったインドネシアルピアは今後使えないため、ルピアをドルに換えた。インドルピーを直接手に入れようとするとレートが悪いため、一度ドルを経由してインドでルピーに戻す方が得策だからだ。この方法ならかなり節約になる。

搭乗手続きには2時間以上かかると見込み、手荷物検査場の外にある待合室で朝食を済ませることにした。マドゥとバーヌは朝からお茶さえ飲んでおらず、ディーパもミルクを飲んでいなかったからだ。

スカルノ・ハッタ国際空港

ジャカルタの空港は非常に広く、清潔で、最新のコンピューター設備が整っている。ジャカルタの航空史は1928年に始まったが、旧空港が手狭になったため1985年に新空港が建設され、スカルノ・ハッタ国際空港と名付けられた。世界第7位の乗り入れ便数を誇り、世界有数の多忙路線であるジャカルタ-シンガポール線の要衝でもある。年間37万便が発着し、5億8700万人の旅客と34万2000トンの貨物を扱う巨大ハブだ。朝食とお茶を済ませ、搭乗手続きに2時間ほど費やし、ターミナルでひと休みした後、定刻通り11時30分にジャカルタを発った。それはジャカルタからだけでなく、ジャワ島、そしてインドネシアからの完全な別れだった。

クアラルンプール空港に着いたとき、時計は午後2時30分を指していた。クアラルンプールはジャカルタより1時間進んでいるため、実際の飛行時間は3時間ではなく2時間だった。クアラルンプール国際空港もジャカルタに負けず劣らず煌びやかで豪華だ。次のニューデリー行きは現地時間午後7時発。それまでの時間を空港探索に費やすことにした。

一変する物価感覚

ここで果物でも買おうとしたが、値段を聞いて購買意欲が萎えた。これまで「インドルピー1=インドネシアルピア200」という感覚でいたが、ここでは「1リンギット(マレーシア通貨)=15インドルピー」というレートだ。クアラルンプール空港での普通サイズのインド産リンゴ1個が6リンギット、約1.5ドル、約90インドルピー。インドなら20〜25ルピーで買えるものだ。お茶はまだ安かったが、1杯75インドルピー。空港内には魚介類を茹でたような奇妙な臭いが漂い、その臭いの中でお茶を飲み下すのも一苦労だった。

ディーパの空腹

やがて午後7時、ニューデリー行きの便に搭乗した。再び海上を飛ぶ旅路だ。到着予定は翌朝10時30分で、フライト時間は5時間半。離陸から1時間ほどでディーパが泣き出した。ラドゥー、マトリ、カクラ、ビスケットなどで1時間ほど宥めようとしたが効かない。バーヌが粉ミルクでミルクを作ってもダメだった。ついにヴィジャイが客室乗務員に頼み、炊いたご飯をもらってきた。ディーパはご飯を見るなり笑顔になった。

ディーパがご飯を頬張る横で、飛行機は地上3万フィート、時速1000キロで暗い海原を突き進んでいる。幾つの海、幾つの島、幾つの国、幾百万の人々が闇夜に包まれている。それらは目に見えないが、確実にそこにあり、私たちはその只中を駆け抜けている。この闇と海と距離の彼方で、さまざまな文化が笑い、微笑んでいるのだと思うと、不思議な気持ちになる。バリ島の貧しいヒンドゥーたちを思い出した。彼らには牛もガンジス川も、乳とギーの川もない。小麦さえない。それでも彼らはヒンドゥーであることを誇り、そのアイデンティティを守るために何千年も戦い続けてきた。しかし、世界中のどの文化も、この感情を気にかけてはいない。牛とガンジスと小麦の国に住むインドでさえ、彼らのことなど顧みてはいないのだ。

私たちは博物館の展示物を見るようにバリ島のヒンドゥーたちを訪れ、帰国すればまた自分の生活に没頭する。彼らがこの闘いをいつまで続けられるのか、誰が知ろう。自分自身にも問いかけてみた。ジャワ島のヒンドゥーたちが、何千年ものヒンドゥー文化の庇護下にありながらイスラム教を受け入れ、クリシュナ神の像を「ガト・カチ(陶器の像)」と推測してしまったとき、バリ島のヒンドゥーたちにどれほどの同情が寄せられているのか、その答えが見えてくる気がした。

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