前回の記事でもお伝えしたように、人類は進化を重ねながら世界中へと広がり、狩猟採集の生活から農耕・牧畜の生活へと移行することで、人々の暮らしは大きく変化しました。そしてやがて国家としての構造が整い、文明が誕生します。
今回は「国はどのようにして作られたのか」「古代にはどんな文明が生まれたのか」という点に焦点を当てて、具体的に見ていきましょう。
世界最古の古代文明とは?
文明の誕生に必要な条件
古代文明が生まれるためには、多くの人々が集まって生活できる環境が必要不可欠です。そのためには、安全な土地・水・食料という3つの条件を満たす場所でなければなりません。
アフリカで誕生し世界各地へ移住していった人類は、長い間、狩猟や採集に頼った生活を続けてきました。しかし地球規模の温暖化が進むと、食料の獲得手段は農耕と牧畜へと変わっていきます。この大きな転換は「農業革命」と呼ばれています。
農業革命以降、食料を備蓄しておくことが可能になり、人口は急速に増加していきました。
灌漑農業が生まれたメソポタミア
農業が最も早く始まった地域がメソポタミアです。当初は移動しながら農耕や牧畜を行っていましたが、時代が下るにつれて灌漑(かんがい)農業が誕生しました。河川や湖から水を引いたり、地下水を利用したりする方法です。
メソポタミアは雨が少なく乾燥した地域で、水を得ることが難しい土地でした。だからこそ水の使い方について徹底的に工夫され、その知恵と農業が組み合わさることで灌漑農業が生まれたと考えられています。
中でもチグリス川・ユーフラテス川の流域は肥沃な土壌に恵まれ、しかも川から水を引きやすい立地だったため、灌漑農業の手法はこの地域で大きく広まりました。
農業技術の発展は、次第に他の産業とも結びつき、メソポタミアはこの時代における先進地域となっていきます。
余剰作物が生んだ豊かさの格差
狩猟採集とは異なり、農業は「貯蔵」ができる産業です。しかし日照量や土壌、水などさまざまな要因によって収穫量は変動するため、次第に貧富の差が生まれ始めました。
長い年月をかけて農耕を続けるうちに、農業生産技術は向上していきます。
当時のメソポタミアの農業は非常に効率が高く、小麦の収穫量は種まきの量のなんと50倍にも達していました。これは現在の日本の収穫率とほぼ同じ水準だと言われています。
当初は土地の質が収穫の良し悪しを左右していたかもしれません。しかし、日々の生活に必要な量以上の作物を手に入れた人々は、「余剰作物と交換に、農具づくりが得意な人から道具を入手し、より効率的な農耕を行う」という好循環を生み出すようになります。
こうして一部の富裕層は、ますます豊かに暮らせるようになっていったのです。
王・神官・戦士・職人が生まれた理由
指導者と王の誕生
乾燥地帯で灌漑農業が始まり、人口が爆発的に増加すると、増えた人口を支えるために、より多くの農地開発と水の確保が不可欠になります。
それらを開墾するためには労働力が必要であり、大規模な開拓が進むほど、組織をまとめる指導力と人材が求められるようになりました。こうして指導力を持つ人材(リーダー)が誕生します。
当時のリーダーが富裕層だったのかどうかは定かではありませんが、リーダーを支える富裕層は数多く存在していたはずです。おそらく古くは複数のリーダーが存在し、その中の一人が王となったと考えられています。
そして王に惜しみなく協力した富裕層たちは、王の側近として重用されたことでしょう。組織を導く有能な人材は、いつの時代も必要だったのです。
宗教的権威の活用と職業の分化
指導力を高める手段として、王とその側近たちが打ち出し実行に移したのが宗教的権威の活用でした。ここから「神官(祭司)」という職業が誕生します。
また、農業による計画的な食料生産が確立され、豊かになった土地が他民族の脅威にさらされるようになると、それを守る戦士が生まれます。
さらに、農耕や牧畜のためのより効率的な農具、そして戦士の武器を作るために職人も登場しました。
シュメール人と都市国家の発展
こうした流れの中で、指導力を発揮する王を中心に、神官・戦士・職人・農民など多くの人々が暮らす都市国家へと発展していきます。シュメール人によって築かれたこの文明こそが、メソポタミア文明です。
ちなみにシュメール人は各国家ごとに王を擁していましたが、都市国家の数が多いうえ互いに争い合っていたため、統一国家には至らなかったと言われています。
その後に誕生した古代文明を見てみよう
ナイル流域に生まれたエジプト文明
メソポタミアから約500年後、アフリカ大陸北部のナイル流域に統一国家エジプトが誕生しました。
メソポタミアと同様、ナイル流域も雨の少ない地域です。周囲を砂漠に囲まれ、人間が暮らすには非常に過酷な環境だったため、逆に多くの人々がこの流域に集まってきました。
上流で雨が降ると、農業に適した肥沃な土壌が上流の盆地から流れてきます。エジプトではこの豊かな土壌を利用して農業が行われました。なお、農耕や牧畜そのものは西アジアから伝わったものと考えられています。
ナイル川は現地で雨が降らなくても氾濫する(上流で雨が降る)という特徴を持っていました。そこで必要となったのが以下の2点です。
- 氾濫の時期を正確に知ること
- 治水・水利の管理
治水には共同労働が不可欠であり、強力なリーダーの存在も必須でした。そのためエジプトにも王が誕生しますが、メソポタミアとは異なり、単なる都市国家にとどまらず統一国家へと成長を遂げました。ここで生まれた文明がエジプト文明と呼ばれるものです。
交易の中継地に生まれた文明
豊かなシュメール人の都市国家とエジプトの統一国家は、互いに交易を行っていたようです。すると、その交易の中間地点にあたるシリア周辺に人々が集まり始め、そこに国が生まれ、文明が育まれていきました。
メソポタミアやエジプトのほかにも、インドと中国の河流域でも同様の流れの中で古代文明が誕生しています。インドではインダス川流域に、エジプトより400年遅れて文明が花開きました。中国の場合は黄河・長江流域において、インドとほぼ同じ時期に文明が誕生しています。
交易の中継エリアに生まれた文明とは?
時代が進むと、都市国家へと発展するほど生産性が高まった土地に暮らす人々の中から、穀物の栽培に適さない土地の人々にも分け与えられるほどの十分な穀物を確保できる者が現れます。
メソポタミアやエジプト、そしてシリアの反対側、地中海の対岸——現在のギリシャ周辺です。
ギリシャ人はオリーブやブドウといった少し異なる作物を生産し、地中海を挟んだ向こう側の人々と食料を物々交換していました。
灌漑農業を行う土地では生産できない珍しい作物を手に入れられるため、富裕層たちは穀物とオリーブやブドウを積極的に交換したのです。
こうして交易用の作物を作る場所へと人が次第に集まり、都市が形成されて、その範囲はさらに拡大していきました。