古代の歴史

古代オリエントの世界

オリエントとは、ヨーロッパから見て「太陽が昇る場所」「東」を意味します。現在の「中東」あたりです。

「中東」といえば、石油、ラクダ、砂漠…そんなイメージでしょうか?実は雨がほとんど降らない乾燥地帯です。おそらくイスラム教を思い浮かべるかもしれません。

今回は、複数の古代文明が生まれた東洋の地形、地名、気候について見ていきたいと思います。

※ イスラム教が東洋に現れることはなく、古代文明の誕生から4000年近く待たなければなりません。教科書なら第4章です。

東洋世界の位置とその周囲の地形を見てみましょう

東洋はこの辺にある

よく見ると下の地図のような感じです。

エジプトの土地とその特徴を見てみましょう

地図の左下は エジプト です。 アフリカ大陸で。 .. エジプト文明 の発祥の地です。

ナイル川 流れているのがわかります。ナイル川流域は緑が豊かですが、それ以外の地域は砂漠に囲まれており、敵を阻む役割を果たしています。

しかし、砂漠は農業にはまったく適していません。文明人口を支えるには食料の確保が不可欠であるにもかかわらず、古代人は砂漠だらけの土地(砂漠土壌ランクG)を選んだのでしょうか?

答えは 「エジプトはナイル川の贈り物」 です。 言葉の通り、 ナイル川 入っています。

ナイル川 エチオピアのタナ湖を源流とする「白ナイル川」と、別の場所から流れる「青ナイル川」が合流して地中海に流れ込みます。

タナ湖 エチオピアの山岳地帯は、夏の 3 か月の間に大雨が頻繁に発生する気候です。雨は山地に吹き寄せるモンスーン(=季節風)によってできた雲によって引き起こされ、夏は風雨が強くなります。そして、エチオピア周辺はマグマに覆われた土壌からなる高原地帯です。マグマが冷えて固まった黒い土はミネラル分が豊富で農業に適しています。

※大陸は1000万~500万年前に壊れ、今もマグマが噴き出しています。日本では立ち入り禁止となっている火山の噴出口を見ることができ、まるで別の惑星に来たかのような景色を見ることができます。興味のある方は「ダナキル砂漠」や「大地溝帯」で検索してみてください。

先ほどの「世界土壌ランキング」で、東アフリカの青い部分はナイル川の水源であるタナ湖がある地域です。砂漠土のランクGとは異なり、「ひび割れた粘土土」なので一気にランクBにジャンプします。

このような土砂は、台地上部に降った雨とともにナイル川に流れ込み、雨が降っていないエジプトのナイル川流域に流れ込み、緩やかな洪水を引き起こします。

この洪水は、地面の塩分を洗い流すのにも役立ちます。なぜなら、普段から雨が少ない地域の土地は「塩害を受けやすい」という特徴があるからです。

陸地が海の上にあるため、かつて海だった場所や地中深くには塩が残っています。これは世界中どこを見ても同じようです。しかし、雨の多い土地や水の多い土地は塩分に悩まされません。

コップや鍋の水に塩を入れると分かりますが、塩は重いので水の下に沈みます。同じことが地面の中でも起こっています。雨が多い地域や水が豊富な地域では塩は水の下に沈みますが、乾燥した地域では蓋の代わりとなる水がないため、塩は地上まで上昇します。塩は農業にとって大敵です。その意味で、ナイル川の氾濫は貴重な恵みの洪水だったようです。

※現在、エジプトはダムの建設や洪水防止により塩害に悩まされている国の一つです。

ちなみに、牛の飼育者にとっては、馬や羊、ヤギには大量の塩が必要なので、塩が簡単に手に入るのは比較的歓迎されているようです。

シナイ半島とパレスチナ

場所を移動しましょう。 エジプトの右上斜めにある小さな三角形の半島 .. ここはシナイ半島です。 と呼ばれます。このシナイ半島は旧約聖書(モーセの出エジプト記) にも記されたシナイ山です。 存在します。エジプト第3王朝・新王国時代にゆかりのある場所です。倫理の授業でも「モーセの十戒」の時に出てきた記憶があるので頭の片隅に置いておくと良いかもしれません。

右側の付け根から見たシナイ半島 パレスチナ です と呼ばれるエリア。現在では、イスラエルとパレスチナ自治区のみを指すことが多いですが、古代近東の世界史を学ぶ場合には、ヨルダン、レバノン、シリアの一部も含まれます。

シリア、アナトリア、ギリシャ、イラン

さらに上に行くと シリア です。 しかし、さらに左上には現在トルコアナトリアがあります。 というエリアが見えます。小アジアとも呼ばれます。アナトリア西部の北にはポントス山脈が走り、南にはタウルス山脈があり、中央にはアナトリア高原があります。となってしまった。

地中海、エーゲ海、黒海に囲まれていますが、周囲を山々に囲まれているため、内陸部には海からの湿った風が入り込まず、降水量(世界の年間平均降水量)が少ないのが特徴です。降水量は880mmです)。一方、アナトリアの内陸部(200~400mm)には全く農業に適さない土地もあるそうで、そういった場所では主にヤギやヒツジなどの牛の飼育が行われています。

中心部のすべてが農業に適していないのかというと、そうではありません。当時の主食である小麦は乾燥に比較的強いため、アナトリア中部の一部の地域でも小麦が生産されています(現在トルコの小麦生産量は世界トップクラス)。

完全な 地中海性気候 アナトリアの南西部と南部の気候は温暖ですが、夏はさわやかで快適で、オリーブやブドウの栽培に適しています。アナトリア高原北西部のエーゲ海と黒海に挟まれた地域は、 温暖で乾燥した地中海性気候と温暖湿潤な気候が混在する地域です。 。 …ということで、アナトリアは地域ごとに独特の気候があるので、様々な栽培方法が可能です。土壌もチェルノーゼムです。 そして粘土堆積土です。 なので農業には適しているようです。

アナトリア半島と地中海とエーゲ海の反対側の土地は ギリシャ です。 ヨーロッパでは。 .. 地図では左上の部分にあたります。こちらも完全に地中海性気候で、 農作物は乾燥に強い オリーブ です。 。そして ブドウ がメインです。

穀物生産に適さない土地だったため、他の土地がどんどん発展して作物を作る余地ができたため、文明が広まりました。

メソポタミアを見てみましょう

シリアのさらに右に進むと メソポタミア です。 見える。 メソポタミア 世界初の農業地帯 雨がほとんど降らない乾燥した地域です。前回の記事でも触れましたが、雨が少なく水が使えなくなったため、灌漑農業が生まれました。

もちろん土壌も非常に良く、 特に チグリス川とユーフラテス川 が優れています。 。この地域は肥沃な三角形です。 と呼ばれていました。小麦、大麦、豆、オリーブ、ナツメヤシなどが栽培され、ラクダや羊も飼育されていたようです。

メソポタミア右 (東) イラン です .. さらに北東へ。 中央アジア 南東部およびインド へ につながっています。メソポタミアとイランは隣り合っていますが、ペルシャ湾の北にはザグロス山脈(最高点4548m)がそびえているのがわかります。

世界史の教科書には、紀元前1894年頃から紀元前1595年頃までメソポタミア全域で続いた第一バビロニア王朝が滅亡した後、「カッシート人がザグロス山脈からメソポタミア南部に侵入した」と書かれている。なんとなく位置を覚えておくと頭に入りやすいと思います。

前述したように オリエント協会 は、 古くから栄えてきました。基本的には乾燥地帯では大きな河川を利用して水利調節と灌漑を行う必要があったのです。 .. 神政政治 その指導力を得るために宗教的権威を利用するという行為が現れます。独特の文化が生まれました。