古代の歴史

フランス第四共和政の誕生――ド・ゴールと戦後復興の出発点

1944年6月3日、フランス国民防衛委員会は「フランス共和国臨時政府」へと改組され、シャルル・ド・ゴール将軍がその長に就任しました。臨時政府は、ヴィシー政権が下したすべての決定を無効と宣言し、正統なフランス国家の再建へ向けて大きく歩み出しました。

1945年10月21日――史上初めての選挙権拡大

歴史的な選挙の実施

第二次世界大戦後、フランスで最初となる国政選挙が1945年10月21日に実施されました。この選挙は歴史に残る節目となりました。まず、女性が初めて投票権を行使しました。さらに、それまで投票所での投票が認められていなかった軍人にも、初めて選挙権が与えられたのです。

二重の国民投票

この日には「二重選挙」が仕組まれていました。第一段階は、二つの質問からなる国民投票です。

最初の質問は「新しい議会を憲法制定議会とすべきか」というものでした。賛成であれば、同議会が第四共和政の憲法を起草する責務を担います。反対であれば、第三共和政が復活することになっていました。この質問には96%もの賛成が集まり、まさに第四共和政の誕生を告げる国民投票となりました。

第二の質問は、憲法制定までの間、公権力の組織化をシャルル・ド・ゴールに委ねるという内容で、66%の国民の承認を得ました。この二重の国民投票は、自由フランスの指導者にとって大きな勝利となりました。

制憲議会の選出と三党連立政権

続いて、フランス国民は制憲議会を構成する586名の議員を選びました。結果は左派、とりわけフランス共産党の明確な勝利でした。共産党はMRP(人民共和運動)、SFIO(労働インターナショナル・フランス支部)とともに「トリパルティスム(三党連立)」と呼ばれる統一政権勢力を形成します。一方、右派は対独協力(コラボラシオン)への関与によるマイナスイメージに苦しみました。こうして選ばれた議会は、新政権の首班としてシャルル・ド・ゴールを選出しました。

憲法草案の否決と新憲法の成立

1946年4月19日、共産党が多数を占める制憲議会は、一院制(単一の議会)を骨子とする第四共和政憲法草案を作成し、これを国民投票に付しました。しかし、ド・ゴールが支持した反対派が勝利し、草案は否決されます。

1946年6月2日、草案の拒否を受けて新たな制憲議会が選出されました。同議会は二院制(上下両院)へ回帰する憲法を提案し、1946年10月の国民投票で承認されました。この憲法の前文には、共同体がすべての市民に対して経済的援助を行う義務が明記されました。

その後の展開と影響

  • 1945年10月4日および19日:社会保障制度が創設されました。まだ正式発足前だった第四共和政は、この制度を実際に機能させる役割を担うことになります。
  • 1948年3月17日:西欧諸国の首脳がブリュッセルで集団防衛条約に調印し、後の西欧同盟(WEU)の原型となる枠組みが生まれました。
  • 1949年4月4日:第四共和政は、東欧における共産主義の拡大を阻止するため、NATO(北大西洋条約機構)の創設に参加しました。