古代の歴史

SALT条約(戦略兵器制限交渉)とは?冷戦期デタント下で結ばれた米ソ軍備制限の概要と影響

SALT条約の背景:冷戦の緊張緩和(デタント)

SALT条約(Strategic Arms Limitation Talks:戦略兵器制限交渉)は、キューバ危機(1962年)以降、冷戦全体に広がった「デタント(緊張緩和)」の潮流の中で生まれた軍備管理の枠組みです。核戦争の危機を現実のものとして両超大国に認識させたこの危機を契機に、米ソ対話の環境が整っていきました。

デタントへ至る主な出来事

  • 1963年6月20日: 米ソ間の直接対話を容易にするための「赤い電話(ホットライン)」が設置され、首脳間の即時通信手段が確立されました。
  • 1964年: ニキータ・フルシチョフに代わり、レオニード・ブレジネフがソ連の指導者に就任しました。
  • 1968年: 核兵器の拡散を防ぐ核拡散防止条約(NPT)が調印され、国際的な核管理の枠組みが形成されました。
  • 1968年: リチャード・ニクソンがアメリカ合衆国大統領に選出されました。

1970年代前半の東西関係の進展

1970年代初頭、東西関係は急速に活発化しました。ソ連指導部は国内の近代化を再開し、技術分野で蓄積された西側との格差を痛感するようになります。一方、アメリカにとってソ連は自国の大量生産製品を受け入れる潜在的な市場として魅力的に映りました。こうした相互の利害関係が、軍備制限交渉を前進させる土壌となったのです。

SALT I条約の調印(1972年5月26日)

日時: 1972年5月26日
場所: モスクワ
署名者: リチャード・ニクソン(アメリカ合衆国大統領)、レオニード・ブレジネフ(ソ連共産党書記長)

SALT I条約は、1972年5月26日にモスクワにおいてニクソン大統領とブレジネフ書記長により調印されました。双方にとっても戦略兵器の生産抑制には明確な利点がありました。ソ連は深刻な財政難に直面しており、アメリカもアポロ計画やベトナム戦争による膨大な費用負担を抱えていたためです。

条約の主な内容

SALT I条約は、軍縮と軍事兵器の制限に関して、次の2つの側面を定めました。

  • 戦略兵器の製造および弾道ミサイル発射施設の設置に関する制限
  • 「対弾道ミサイル」(ABM:Anti-Ballistic Missile)システムの配備制限

SALT条約の結果と歴史的影響

  • SALT条約は、キューバ危機後に不可欠となった軍事兵器の管理・統制の流れを受け継ぐものとなりました。
  • その後も複数の軍縮・制限条約が締結されています。SALT II(1979年)、START I(1991年)、New START(2010年)などが挙げられます。
  • しかし、SALT Iをもってしても、1977年から1987年にかけての「ユーロミサイル危機」——アメリカによるパーシング・ミサイルの欧州配備と、それに対抗するソ連のSS20中距離ミサイル配備——を防ぐことはできませんでした。
  • 1983年には、ロナルド・レーガン米大統領が戦略防衛構想(SDI)、通称「スターウォーズ計画」を打ち出し、宇宙空間を含む新たな軍拡競争の火種となりました。

SALT条約は冷戦期における軍備管理外交の出発点として重要な意味を持ちますが、同時に東西対立の構造そのものを解消するものではありませんでした。それでも、超大国間で初めて戦略核兵器の数値的制限に合意した歴史的意義は大きく、以降の軍縮交渉の基礎を築いたといえます。