古代の歴史

エッフェル塔の技術的挑戦――設計と建設の舞台裏

エッフェル塔の技術的挑戦――設計と建設の舞台裏

パリの空にそび立つエッフェル塔。その設計は、50名のエンジニアとインダストリアルデザイナーによる綿密な分析の賜物であり、一般図面700枚、製作図3,600枚が作成されました。ここでは、19世紀最大級の建設プロジェクトを支えた技術的挑戦の全貌を紹介します。

倒壊と風への備え――二つの大きな課題

エンジニアたちが最初に取り組んだ課題は、塔の転倒防止でした。この難題は、4本の柱を鐘型(ベル型)に配置することで克服されます。この配置が十分な安定性をもたらし、総重量7,341トンの塔を確固として支えているのです。

次の課題は、風圧による変形や過度な揺れの防止です。そのためには構造全体の剛性が不可欠でした。これを実現したのが、1階の高さにおける大型格子梁による4本の柱の接合と、三角形を基本とするトラス構造です。

エッフェル塔の基本構造単位は「三角化された四角形」です。各柱はそれぞれ28個の四角形パネルで構成され、一辺は6〜11メートル。地上から1階(高さ57.63メートル)までの区間には4個が配置されています。このシステムにより、塔は風に対してほぼ完全な剛性を保ちます。塔頂部の最大水平振れはわずか7センチメートルで、高さとの比率は1/4,285。これは通常の高層建築で一般的な1/1000を大きく下回る、驚異的な数値です。

天へ昇る工事のステップ

着工後最初の5ヶ月間は基礎工事に費やされました。深さ数メートルに及ぶ締め固めた砂利層の上に重いコンクリートブロックを据え、さらにその上に巨大な石造りの支柱を築き、塔の4本の柱を固定していきます。

セーヌ川に最も近い北側と西側の基礎工事はとりわけ困難でした。この一帯は湿地帯で地盤が不安定だったため、地下水位より5メートルも深く掘削して堅固な地盤に到達させる必要があったのです。エッフェルはこの掘削のため、1830年にイギリスで導入された圧気ケーソン工法を採用しました。エッフェル塔ほどの規模の建造物への適用は、これが世界初の試みでした。

1階部分の組み立てでは、ピラミッド状の木製足場で柱を支えました。続いて4基の荷重タワーを建て、そこに1階の4本の大梁を据え付けます。これらの梁を傾斜する柱と連結することで、柱は安定します。1階以降は、各柱に蒸気機関駆動の登攀クレーンを設置。クレーンは柱に沿って滑走しながら、塔の部材を次々と吊り上げていきました。

工事は順調に進み、月に約10メートルずつ高さを増していきます。1888年9月には高さ115メートルの2階に到達。ここから先は塔がピロン(塔状構造)の形態を呈し、作業は格段に容易になりました。最終段階となるエレベーターの設置もまた、前例のない技術的成功でした。エドゥー社、オーチス社、コンバルジエ社の3社が3種類のエレベーターを設置し、276メートルへの昇降という難題を見事にクリアしたのです。

建設工程で最も繊細を要したのは、4本の柱を接合して1階を形成する瞬間でした。構造体はミリ単位の精度で一致しなければなりません。しかしエッフェルは、多少のズレは避けられないことを承知していました。そこで各柱にはピストンとして機能する空洞が設けられ、加圧水を注入して所定の水平位置まで押し上げるという画期的な方法が採られたのです。この関門を乗り越えると、以後の工事は格段にスムーズになりました。

鉄の規律を守った労働者たち

塔の上では、常に150〜250人の労働者が同時に作業していました。彼らの仕事は、パリ近郊ルヴァロワ=ペレにあるエッフェルの工場で約100人の職人が製作した部品を組み立てることです。部品は鉄道で現場へ運ばれました。

主な作業は、ネジの祖先ともいえるリベットで各部材を結合することです。リベット打ちは4人1組の分業体制で行われました。見習い工が炉を操作してリベットを赤熱させ、「ホルダー」が既に開けられた穴に差し込んで頭部を固定し、リベット打ち職人が軸部を叩いて反対側の頭部を成形、最後に大槌を担当する職人が仕上げを担います。初期段階では40組が1日あたり約4,200本のリベットを打ち込みました。塔全体のリベット総数は実に250万本に達します。

労働者は、高所作業に慣れたパリの大工の中から採用されたため、めまいを起こす者はほとんどいませんでした。実際、死亡事故はわずか1件で、しかも勤務時間外の出来事でした。労働者にとって最大の敵はむしろ寒さ、特に1888〜1889年の厳冬期でした。労働時間は1日9時間(夏季は12時間)。1888年末には賃金の低さを理由に2度のストライキが発生しましたが、これを受けてエッフェルは出来高ボーナスの支給や労働条件の改善を約束しました。1階には食堂が設けられ、労働者たちは家から持参した食事を温めて休憩できるようになったといいます。