奴隷海岸(スレーブコースト)とは、18世紀から19世紀の歴史において、アフリカ大陸のギニア湾岸に位置する一帯の海岸地域を指す名称です。範囲はおおよそ西のヴォルタ川河口から、東は現在のナイジェリアにあたるラゴス、さらにはニジェールデルタ方面まで広がるとされ、今日ではトーゴ、ベナン、ナイジェリアの3か国に相当する地域です。
地名の由来
この海岸線が「奴隷海岸」と呼ばれるようになったのは、大西洋奴隷貿易における最大級の出発地点の一つだったためです。数百年にわたり、膨大な数の人々がこの海岸から船に乗せられ、新大陸へと送られました。特にベニン湾沿いのウィダー(オイダ)などの港町は、奴隷の積み出し港として国際的に知られるようになりました。
ヨーロッパ諸国の進出と交易の実態
ドイツ(プロイセン)、デンマーク、フランス、ポルトガル、スウェーデン、スペインなど、多くのヨーロッパ諸国がこの沿岸地域に要塞や商館の設立を試みました。しかしながら、実際の貿易活動は主にイギリス系およびオランダ系の商人たちが支配しており、彼らが奴隷をはじめとする各種商品の取引を担う場となっていきました。
背景にあったアフリカ側の勢力
内陸部では、ダホメ王国(現在のベナン)やヨルバ人のオヨ王国などの勢力が台頭していました。これらの王国は戦争で捕らえた捕虜をヨーロッパの商人に売却することで大きな利益を得て、経済的にも軍事的にも強大化していきました。こうした現地勢力との関係が、奴隷が、奴隷貿易の拡大を支える重要な要素となっていたのです。
奴隷貿易の終焉とその後
19世紀に入ると、イギリスが奴隷貿易の廃止運動を主導し、1807年の奴隷貿易禁止法の制定をはじめとする取り組みにより、この地域の奴隷貿易は次第に縮小していきました。以降、沿岸地域の主要輸出品はヤシ油などの農産物へと移り変わっていきます。「奴隷海岸」という呼称は、人類史上の悲劇を今に伝える歴史的な地名として、現代にも受け継がれています。