古代の歴史

スペイン人になりたいベルギーの自治体――オステルロー町の「王冠への復帰」請願

スペイン人になりたいベルギーの自治体――オステルロー町の「王冠への復帰」請願

ベルギー・フラームス・ブラバント州の小さな町オステルロー(Oosterloo)。人口約2,500人のこの町は、酪農とチーズ作りで生計を立てる静かな農村だ。しかし昨年夏、町長で小さな歴史博物館の館長でもあるダニエル・ステュッカース(Daniel Steuckers)氏が、市議会の資料庫から一枚の古文書を発見し、町の日常は一変することとなった。

その文書は『Den Schat der Priuilegen vande Stadt Oosterloo opgedraghen aen den Koningh』(「王に捧げられたオステルロー町特権の宝庫」)と題され、1598年に隣町メヘレンで、ヘルマン・ファン・ボルクロ(Herman van Borculo)の未亡人と子どもたちによって印刷されたものである。

文書によれば、1587年、フェリペ2世は、ネーデルラント総督アレッサンドロ・ファルネーゼ(パルマ公)、ブラバント大法官庁、そしてメヘレン大評議会の要請を受け、オランダ反乱軍との戦いにおける町民の忠誠と貢献に対する報酬として、この町を永久に税負担から免除したという。ステュッカース町長は10月22日に住民投票を実施して意向を固めたうえで、在ベルギー・スペイン大使館に請願書を提出。オステルローのスペイン王冠への「復帰」を求めたが、これまでのところ回答は得られていない。

スペイン人になりたいベルギーの自治体――オステルロー町の「王冠への復帰」請願

地元の歴史家フィリップ・ホーフマルテンス(Philip Hoogmartens)氏によれば、この文書が表舞台に現れたのは今回が初めてではないという。「1787年、当時の自治体は、フランケンベルク伯にしてメヘレン大司教のフアン・エンリケ枢機卿にこの文書を提示し、税の免除を求めましたが、成功しませんでした」。さらに同氏は、1914年のドイツ軍侵攻まで、この文書が繰り返し利用されてきた可能性を指摘している。侵攻時には、酔っ払ったバイエルン兵の一隊が自治体資料庫に放火し、町の議事録の大部分が失われてしまったのだ。

スペインへの貢献の歴史

独自の調査も進めているステュッカース町長は、オステルローがヒスパニック君主国に捧げてきた貢献の長いリストを挙げ、スペイン王国への編入を正当化しようとしている。

例えば1594年には、町民たちが隣町ウェールトで反乱を起こした兵士2名を捕らえ、その耳を切り落として、ネーデルラント臨時総督マンスフェルト伯ペドロ・エルネストのもとへ即刻送り届けた。1623年には、地元の職人メヒティルト・スタウテン(Mechtild Stouten)さんが、フランドル軍のために32個のピューター製スプーンを作ったという。

こうした貢献はスペイン継承戦争の時代をも超えて続いた。1727年4月、町の住民ピーテル・ナイツ(Pieter Nuyts)は、スペインへ渡りワロン衛兵隊に入隊しようと出航を待っていたところ、乱闘騒ぎを起こしてオーステンドで投獄されている。結局ナイツは船に乗れなかったものの、地元法廷の記録には、彼がスペイン国王の名誉について繰り返し語っていたことが残されている。

そして最も輝かしい貢献は、最後に語られることになっている。1587年にフェリペ2世が税を免除した理由こそ、1583年におけるアランソン公軍への勝利だったからだ。当時の年代記にも言及されるこの小競り合いでは、ウォルテルス・ボルン(Walterus Born)という名の菓子職人が活躍した。アロンソ・バスケス(Alonso Vázquez)大尉は、その様子を次のように記している。

この犠牲がいかに大きかったかは、市民が街路にホップの俵でバリケードを築いたことからもわかる。その結果、翌年のカーニバル用のビールの備蓄が大幅に減ってしまい、祭りは薄いふすまビールで祝われる羽目になった。バスケスによれば、それは「最も安価で中身のないビール。フラマン語ではデムイル(demuir)、つまり『小さなビール』と呼ばれ、ワロン人はプティタビエラ(petitabiera)と呼ぶ」という。

スペイン人になりたいベルギーの自治体――オステルロー町の「王冠への復帰」請願

もう一つの出来事は1626年。オステルローの布商人ヘンドリック・レインデルス(Hendrik Rynders)が、フランドル軍総司令官アンブロージョ・スピノラに自らの資産と経験を提供し、ネーデルラント各地の多くの守備隊のために犬を使った補給サービスを組織することを提案したのである。中央・北ヨーロッパの他の地域と同様、フランドルでは皮革などの特定の商品を犬で運ぶのが一般的であり、バスケスもその使用に言及している。

計画そのものは実現しなかったが、レインデルスの文書は「フランドル伯領オーステルロ村の商人エンリケ・レインデルスが市当局に提案した、軍需品輸送のための犬の使用に関する提言」としてスペイン語に翻訳され、現在はシマンカス一般文書館に所蔵されている。この提案が王国の中枢にまで届いていたことを示す証左である。

スペイン人になりたいベルギーの自治体――オステルロー町の「王冠への復帰」請願

民意に支えられた正当な願い

こうした数々の逸話を根拠に、オステルロー市議会は在ベルギー・スペイン大使館へ請願書を送付した。受理されれば、特権をそのままにスペイン王国へ編入できるという期待を込めてである。「海運貿易の観点から言えば、カンタブリア州に加わるのが理にかなっています」とステュッカース町長は語り、アントウェルペン経由でオステルローとカンタブリア地方の港を結ぶ海運会社設立の提案案を、市議会が現在仕上げていることを明かした。

スペイン人になりたいベルギーの自治体――オステルロー町の「王冠への復帰」請願

スペイン外務省もベルギー当局もまだ公式な見解を示していないが、この提案は一部の地元貴族の関心を引いている。ゴットガフ・ファン・トロウエンラーデ(Godtgaf van Trouwenraede)氏は地元紙上で、「我が家は今に至るまで、スペイン国王を自然な主君とみなし続けてきた」と公言した。ネーデルラントへのスペイン支配の復活は、本当に訪れるのだろうか?

参考文献

  • Rahlenbeck, C. (1854): “Osterloo, une village singulier dans le Brabant flamand”, Messager des sciences et des arts, publ. by the Société royale des beaux-arts et des lettres, et par celle d’agriculture et de botanique de Gand, 12, p. 209-247.
  • Steuckers, D. (ed.) (2018): Den Schat der Priuilegen vande Stadt Oosterloo opgedraghen aen den Koningh. Mechelen: Uitgaven van de Abdij van Mechelen.
  • Van Tongeren, J. (2009): “From 's-Hertogenbosch to Osterloo: how beer fueled the Catholic resistance to the Dutch rebellion in the Flemish Brabant”, The Oxenfurt Historian, 87, p. 93-118.

エイプリルフールです。しかし……

昨日このブログで公開した記事は、もちろん冗談――エイプリルフールの企画である。とはいえ、その土台には確かな史実がある。記事に含まれる引用の多くは、アロンソ・バスケス大尉の年代記(『スペイン史未刊行史料集成』第72巻〜第74巻に収録)から採ったものだ。フランドルに数年間従軍したバスケスは、著作の冒頭でフラマン人に関する詳細な民族誌的描写を展開しており、本文全体を通じて興味深い観察を数多く書き留めている。

架空の町オステルローについて述べた内容の中にも、事実は含まれている。フラマン人とオランダ人が砲台をホップの俵で補強していたこと、犬を使って物資を運搬していたことは本当である。勇敢な菓子職人がアランソン公の軍勢に大混乱を引き起こしたのも事実だが、それはオステルローではなく、1583年のアントウェルペンでの出来事だった。さらに当然ながら、スペイン王冠への忠誠で名を馳せたフランドルの町も実在する。例えばスヘルトーヘンボス('s-Hertogenbosch、ボルドゥーク)の住民たちは、1585年12月にボメル島で包囲されたテルシオ(歩兵部隊)を神の介入によって救うべく、公的な巡礼行列の中で自ら鞭打ちを行ったほどである。