古代の歴史

トラキア・ケルソネソス半島とは?古代トルコの穀倉地帯と戦略要衝の歴史

トラキア・ケルソネソスとは

トラキア・ケルソネソス(Thracian Chersonese)は、現在のトルコ共和国に属するガリポリ半島にあたる古代の地域です。ヘレスポントス海峡(現ダーダネルス海峡)のヨーロッパ側に位置し、エーゲ海とマルマラ海を結ぶ海上交通の要衝として、古代世界で極めて重要な役割を果たしました。

小麦の輸出地として繁栄した肥沃な大地

この半島は肥沃な土壌に恵まれ、古代ギリシャ世界有数の小麦輸出地帯として知られていました。同時に、ヨーロッパとアジアを結ぶ主要な交易路の中継点でもありました。半島の都市セストスは、ヘレスポントス海峡の主要な渡河地点に位置し、戦略的にも商業的にも重要な拠点でした。

ギリシャ人の植民と12の町の建設

紀元前7世紀、レスボス島から渡ったアイオリス人と、小アジアのミレトスから来たイオニア系ギリシャ人がこの地に移住し、半島上におよそ12の町を建設しました。これがケルソネソスにおけるギリシャ文明の始まりとなります。

ミルティアデス家による支配

アテナイの将軍ミルティアデス(長老)は、先住民族であるドロンコイ族に王として迎え入れられ、彼らの要請に応じてブライアス地峡に防衛壁を築くなど、この地への植民を進めました。やがて彼はギリシャ諸都市の僭主(タイラノス)となり、その子孫による王朝を打ち立てます。

この王朝は甥のミルティアデス(若き方)の時代まで続きましたが、紀元前493年、ペルシア王ダレイオス1世の圧力が強まる中、彼はケルソネソスを離れることを余儀なくされました。

アテナイの覇権下でのケルソネソス

ギリシャ・ペルシア戦争後の紀元前478年、アテナイはこの地域をデロス同盟に組み込み、紀元前448年頃には1,000人の入植者(クレルコス)を送り込みました。ペロポネソス戦争(紀元前431年〜404年)終結直後には一時スパルタが支配権を握りましたが、ほどなくアテナイの手に戻り、今度は353人の入植者がこの地へ派遣されました。

マケドニアからローマへと続く興亡

紀元前338年、ケルソネソスはマケドニア王フィリッポス2世の勢力圏に組み込まれました。その後はセレウコス朝の領域の一部となりましたが、ペルガモンのエウメネス2世を経て、紀元前133年に正式にローマの支配下に入りました。

ローマ人はこの土地の大部分を国有地(ager publicus)としました。そして皇帝アウグストゥスの時代には、ケルソネソスは帝室の直接所有財産として管理されることになったのです。

まとめ

トラキア・ケルソネソスは、豊かな穀物生産とヨーロッパ・アジア間交易の結節点という二つの条件に恵まれたため、アイオリス人・イオニア人の植民から始まり、アテナイ、スパルタ、マケドニア、セレウコス朝、ペルガモン、そしてローマへと、大国の興亡とともに支配者が移り変わった歴史を持つ地域です。現在のガリポリ半島の姿からは、こうした古代の激動の歴史を偲ぶことができます。