732年に行われたポワティエの戦い(トゥールの戦い、またはトゥール・ポワティエ間の戦いとも呼ばれます)は、キリスト教勢力とイスラム勢力の衝突の中でも最も重要な戦いの一つとされています。フランク王国の実権を握っていたカール・マルテル率いるフランク軍と、アブド・アッラフマーン・アル=ガーフィキー率いるイスラム軍が激突し、この戦いは西ヨーロッパへのイスラム勢力の侵攻に終止符を打つこととなりました。
ポワティエの戦いは約1週間にわたって続きました。戦場となったのがフランスの都市ポワティエ近郊、トゥール周辺の地域であったことから、この名前が付けられています。フランク軍の勝利により、ムスリム(イスラム教徒)がヨーロッパの領土から撤退を余儀なくされたという点で、歴史上きわめて大きな意義を持つ戦いです。なお、同名の「ポワティエの戦い」には、1356年に百年戦争の最中にフランスとイングランドの間で行われた戦いもあるため、混同しないよう注意が必要です。
戦いの背景と概要
北アフリカとイベリア半島の一部を征服した後、711年に建国されたコルドバ首長国(現在のスペイン)に属するムスリムたちは、自らの文化や慣習を広め、さらなる領土を獲得するために西ヨーロッパへと進出していきました。
しかし、ムスリム軍は大規模な軍勢と武装騎兵を擁していたにもかかわらず、ポワティエとトゥールの間のフランス地域へ進軍した際、綿密に訓練され準備を整えていたカール・マルテルの軍隊と遭遇します。結果として、ムスリム軍は、馬を持たない少数の歩兵たち――盾、短剣、槍、ハンマー、斧といった多様な武器を操る兵士たち――によって敗北を喫することになりました。
それ以前に、ムスリム軍はすでにピレネー山脈を越えてアキテーヌ地方へ侵入しており、ポワティエの戦いが始まった時点で、リヨン、ボルドー、アヴィニョン、ヴィヴィエ、ヴァランス、ヴィエンヌといったフランス領内の都市を次々と征服していました。興味深いことに、イスラム騎兵団はヨーロッパの他の地域を征服するうえで大きな強みとなりましたが、この戦いではその機動力が十分に活かされることはありませんでした。
カール・マルテルの戦術
カール・マルテルが用いた戦術の一つは、「ファランクス」(古代ギリシャ発祥の密集歩兵陣形)と呼ばれるものでした。これは兵士たちを長方形の陣形に整列させ、丘の中腹に潜んで敵の到来を待ち伏せする方法です。堅固な防御態勢を敷くことで騎兵の突撃を耐え抜き、反撃に転じるこの戦術は、ヨーロッパにおけるイスラム勢力の拡張を防ぐうえで非常に効果的であることが証明されました。
戦いの帰結
約7日間に及ぶ戦闘の末、フランク軍はこの地域でのムスリム軍の攻撃を食い止め、ヨーロッパ大ーロッパ大陸への勢力拡大を阻止することに成功しました。ムスリム軍の敗北が決定的となったのは、指導者であるアブド・アッラフマーン・アル=ガーフィキー(アブド・アッラー・アル=ガーフィキー)が戦闘の最中に戦死し、残りの軍勢がイベリア半島へと撤退したことによります。
また興味深いことに、「マルテル」という名前は、ポワティエの戦いに勝利した後にカールが受けたあだ名です。「マルテル」は「ハンマーで打ち砕く者」を意味し、ムスリム軍との戦いで使用された武器の一つであるハンマーに由来していると言われています。