広島原爆とは、人類史上初めて原子爆弾が実戦で使用された出来事を指します。1945年8月6日に広島市へ投下された原爆は「リトルボーイ」と名付けられました。そのわずか3日後には、第2の原爆「ファットマン」が日本の別の都市・長崎市へ投下されています。
概要
1945年8月6日午前8時15分、広島市に向けて投下された原子爆弾は、史上最大級の犠牲者をもたらしました。死者数は約14万人に上るとされています。
この原子爆弾は、「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘プロジェクトのもと、科学者や技術者たちによって開発されました。日本へ投下される前に、同年7月16日にアメリカ・ニューメキシコ州の砂漠で世界初の核実験が実施されています。
当時、世界は第二次世界大戦の渦中にありました。アメリカ合衆国政府は日本に降伏を促すため、B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」に核爆弾を搭載し、広島へと向かわせたのです。
爆弾の弾頭にはウラン235が使用され、全長約3メートル、重量約4トン。「リトルボーイ」と名付けられたこの爆弾は、広島市上空500〜600メートルの高度で炸裂し、街全体を破壊しました。
爆心地から1キロ以内にいた人々の86%が即死したとされます。建物は塵と化し、多くの犠牲者の遺体は粉々に消散したため、数えることさえできなかったといいます。
長崎への原爆投下
長崎に投下された「ファットマン」は、広島から3日後の1945年8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB-29爆撃機「ボックスカー」によって、市上空約600メートルの地点で投下されました。
最初の原爆投下後も戦争を継続していた日本に降伏を迫るため、第2の核攻撃が実行されたのです。
長崎に落とされた爆弾にはプルトニウム239が使用され、全長は3メートル強、重量は約4.5トンでした。この爆弾により約7万人が死亡し、市のほぼ半分が破壊されました。
そして1945年9月2日、日本はついに降伏し、第二次世界大戦は終結しました。
原爆投下の影響
当時の広島は日本で7番目に大きな都市で、人口は約33万人。一方、長崎の人口は約17万5千人でした。
広島では、爆発の瞬間だけで約5万人が死亡したとされています。
原爆投下直後には、放射能を含む黒い雨が降り注ぎ、水や土壌を汚染しました。
即死やその後数分〜数時間以内の死亡に加えて、核攻撃は数多くの深刻な後遺症をもたらしました。その結果、何千人もの人々が感染症に罹患し、負傷し、火傷を負い、失明しました。
がん、うつ病、遺伝的な問題、身体的変形、不妊なども、原爆の影響によって引き起こされた深刻な問題です。
放射線熱傷による永久的な後遺症を抱えた多くの人々は、偏見の対象となり、社会での生活を続けることが困難になりました。
悲劇から何年も経過した後も、この地域には高いレベルの放射能が残っていたとされています。
原爆投下直後、廃墟と化した広島の建物
同じ建物は現在「原爆ドーム」(広島平和記念碑)と呼ばれ、悲劇の犠牲者を追悼する象徴となっています
2015年には原爆投下から70年を迎えました。原爆の生存者たちは「被爆者(ひばくしゃ)」と呼ばれています。
両都市は復興を遂げましたが、毎年、この惨禍の犠牲者たちが追悼されています。
現在、広島の人口は100万人を超え、長崎は約40万人です。
豆知識
ブラジルの詩人ヴィニシウス・デ・モライスは、広島への原爆投下を題材に詩「ヒロシマのバラ」を書きました。
この詩のタイトルは、原爆の爆発で立ち上る煙がピンク色に見えたことに由来しています。
抗議の精神を込めたこの詩は後に曲となり、1970年代、ブラジルが軍事独裁政権下にあった時代に生み出されました。
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