ローマ帝国は西暦3世紀頃から衰退へと向かい、皇帝たちの無能さゆえに長く苦しい末路をたどりました。彼らは帝国内部の危機を抑えることができず、蛮族の侵入をも食い止めることができなかったのです。
1. 内部要因
1.1 ローマ政府の弱体化
その原因は、為政者の失政、役人の腐敗、将軍たちの野心にありました。これらが引き金となり、1世紀以上にわたる内戦が勃発します。
こうした混乱の中で軍隊は強大で野心的な存在へと変貌し、自らの将軍を皇帝に擁立する一方、時が経てばその皇帝を暗殺するという事態が繰り返されました。
さらに、皇帝によるキリスト教徒への迫害や深刻な社会・経済危機も、帝国の衰退を一層加速させました。
1.2 ローマ帝国の分裂
スペイン出身の最後の皇帝テオドシウス1世は、死に際して帝国を二人の息子たちに分割することを決めました。これが西暦395年のことであり、帝国は長男アルカディウスと次男ホノリウスの統治下で東西に分かれたのです。
兄のアルカディウスは東ローマ帝国を継承しました。その領土にはギリシャ、マケドニア、小アジア(現在のトルコ)、シリア、パレスチナ、エジプトが含まれ、首都はコンスタンティノープルに置かれました。
弟のホノリウスは西ローマ帝国を治めました。現在のイタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリス、北アフリカにあたる地域です。首都はミラノに置かれましたが、実質的な中心は依然としてローマであり続けました。
2. 外部要因
2.1 蛮族の侵入
「蛮族」とは、ローマ帝国の国境の外側に住み、その支配下に入らなかった諸民族のことです。彼らは主に農耕と牧畜を生業とする部族でした。
ヨーロッパやアジアの各地から、それぞれ異なる時期にローマ帝国へと侵入していきました。なかには平和的に帝国へ移住し、軍務や農業、手工業に従事した集団もあったのです。
2.2 主要な侵入
a. 西ゴート族
ドナウ川流域から移動してきた彼らは、ガリア南部とイベリア半島を占領し、そこに西ゴート王国を建国しました。首都はトレドです。
b. 東ゴート族
フン族に押されて黒海沿岸から移動し、イタリアに侵攻して東ゴート王国を築きました。
c. アングル人とサクソン人
北海沿岸の部族である彼らは、海峡を渡ってブリテン島(イングランド)に定住しました。
d. スエビ族・ヴァンダル族・アラン族
フン族の圧力にさらされ、南ロシアにいたヴァンダル族は故地を追われ、ドナウ川沿いでスエビ族やアラン族と合流しました。この連合部族はライン川を渡ってガリアに侵入しましたが、ローマ軍に撃退されると、西方へ進路を変えてヒスパニア(現在のスペイン)を占領しました。
e. ヴァンダル族
その後、彼らは北アフリカを占領します。そして地中海を渡り、455年にはついにローマ市を略奪したのです。
f. フン族
モンゴル高原出身のフン族は、アッティラの指揮のもとライン川を越え、ベルギー地方を蹂躙してガリア北部にまで達しました。「神の鞭」と恐れられたアッティラは、ローマ将軍アエティウスが率いるローマ・蛮族連合軍とのカタラウヌム平原の戦い(451年、マルヌ河畔)で敗北します。翌年にはドイツ方面からイタリアへ再び侵攻しましたが、教皇レオ1世の懸命な働きかけのおかげで、ローマ市は破壊を免れました。半世紀にわたりヨーロッパを恐怖に陥れたフン族は、アッティラがドナウ川流域で死去するとともに、脅威としての力を失っていきました。
g. フランク族とブルグント族
ゲルマニア(現在のドイツ)出身の彼らは、ライン川を渡ってガリアに定住しました。
3. 西ローマ帝国の滅亡
ローマでは一連の皇帝の後に、わずか10歳の少年ロムルス・アウグストゥルスが帝位に就きました。エルリ族の蛮族の首領オドアケルはこの好機を見逃さず、476年、軍を率いてイタリアに侵入し、皇帝を退位させたのです。
こうして西ローマ帝国は滅亡しました。以後、帝国として存続したのは、首都をコンスタンティノープルに置く東ローマ帝国のみとなったのです。