古代の歴史

B-11の偉業――ダーダネルス海峡を突破し、トルコ戦艦メスディエを撃沈せよ

B-11の偉業――ダーダネルス海峡を突破し、トルコ戦艦メスディエを撃沈せよ

潜水艦という兵器は、イギリスにおいて本来あるべき評価を受けてこなかった。1914年当時、世界最強を誇るイギリス海軍は新旧合わせて60隻以上の戦艦を擁しており、戦艦による戦列への依存が強かった結果、潜水艦はあくまで特殊用途の「貧しい親戚」のような扱いを受けていた。それはある意味、当然のことでもあった。

海峡突破という発案

1914年10月30日、オスマン帝国が連合国(協商国)に対して宣戦布告すると、イギリス・フランス両海軍は東地中海にカーデン中将指揮下の比較的古い艦艇部隊を展開させた。作戦開始からまもなく、カーデンの部隊はマルタから派遣された3隻の潜水艦、B-9、B-10、そしてB-11によって増強されることになった。

潜水艦部隊を率いるポーナルは、自らの艦隊に攻撃的な任務を与えようと模索していた。そこで初めて持ち上がったのが、「ダーダネルス海峡に突入し、泊地にいる敵艦を叩く」という大胆な作戦構想である。ポーナルはB-11艦長ノーマン・ホルブルック大尉と会合を重ね、まさにこの難題に取り組んだ。

B-11は、1914年の基準で見てもすでに旧式化していた潜水艦だった。当時、潜水艦であれ水上艦であれ、ダーダネルス海峡に踏み込むこと自体が一大決意を要する行為だった。トルコ軍は海峡全域に5つの広大な機雷原を敷設し、そのさらに奥にもより大規模な機雷原を張り巡らせていた。加えて、強い海流も大きな障害となっていた。それでも、B-11に海峡突入を行わせるという決断が下されたのである。

大胆なる突入

1914年12月13日、日曜日の早朝、すべての準備が整った。B-11は支援船「ブレンハイム」とともに海峡入口へ向かった。潜水艦は敵に発見されぬよう、支援船の右舷側に「へばりつく」ように並んで航行した。時刻はまだ午前4時15分、外は真っ暗だったが、慎重なホルブルックは何ひとつ偶然に委ねたくはなかった。

両船は海峡入口から3海里の地点に達し、そこで潜水艦は単独の航海を開始した。B-11は浮上状態でゆっくりと進み、夜明けにはケープ・ヘリ岬から1海里の距離まで迫った。

乗員たちは深い思いを胸に出航した。誰もがこの任務の危険性を痛感していた。前夜、彼らは家族宛ての別れの手紙を書き記し、もし潜水艦が戻らなければ届けられるよう託していたのである。

潜水艦は水深15メートルへ潜行し、黒海方向へ流れる海流域に入った。ここでは速力を抑えざるを得ず、バッテリーの貴重な電力が奪われていく。潜水艦は4ノットで推進していたものの、向かい潮のため実際に前に進む速力はわずか2ノットに過ぎなかった。

鉄の小さな殻の中で、不安は頂点に達しようとしていた。ホルブルックはそれを見て取り、すぐに朝食の用意を命じた。ハム、ジャム、紅茶、バターの香りが艦内に漂うにつれ、乗員たちの張り詰めた神経は少しずつ和らいでいった。

攻撃の瞬間

時刻は8時30分に近づき、バッテリーはすでに3分の2を消耗していた。それでも潜水艦は進んだ。やがて最初の既知の機雷原の前面に差しかかった。ホルブルックは水深24メートルへの潜航を命じた。理論上、これは本艦の性能限界を超える深度だったが、船体は見事に耐え抜いた。

9時40分、潜水艦は海峡内に侵入した。すると突然、大型の船影が視界に入った。それは旧式トルコ戦艦「メスディエ」だった。同艦は潜水艦の艦首から約1,700メートル離れた位置に、45度の角度で停泊していた。

潜水艦は苦闘の末、戦艦の艦尾から800メートルの距離まで接近し、魚雷を発射して重大な損傷を与える命中を収めた。魚雷が命中し黒煙が船体を包み始めると、トルコ兵たちはB-11の潜望鏡を発見し、使える限りのあらゆる火器で射撃を開始した。

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潜水艦の周囲では砲弾が着水し、海面が沸き立つように水柱が立ち上った。脱出は絶望的に見えた。そのとき、轟音とともに「メスディエ」が横転した。約700名に及ぶ乗員の多くが転覆する船体の下敷きとなり、何人かは永遠に海底の墓場へと引きずり込まれたのである。

奇跡の脱出

次は、ホルブルックが潜水艦を湾外へ導き出す番だった。「潜航。後進全速」と彼は命じ、潜水艦は電動機に残された最後の力を振り絞りながら、ゆっくりと命令に従った。しかし羅針儀が故障したため、潜望鏡深度への浮上を余儀なくされた。すると突然、トルコの哨戒艇が現れた。B-11の艦長は急遽潜航を命じたが、潜水艦は浅瀬に入り込み、司令塔が水面から覗く状態になってしまった。それでも潜水艦は海底を「擦る」ようにして航行を続けた。

「電動機は文字通りプロペラが飛んでしまいそうなほど回っていたが、そのおかげで俺たちは救いへと運ばれたんだ」とホルブルックは後に語っている。彼は舵を左に切り、海流に乗せる形で小さな潜水艦を海峡外へと押し流した。前方にはまだ16海里の水路が続いていた。

羅針儀が使えなくなったため、ホルブルックは再び機雷原の真下を通過する危険を冒さないことを決め、機雷と機雷の間を潜望鏡深度で抜けることを選んだ。艦内は絶対的な静寂に包まれた。聞こえるのは、息苦しく汚れた空気の中での荒い呼吸音と、ホルブルックの口から発せられる短く鋭い指令の声だけだった。B-11の艦長は目視のみを頼りに機雷原の間を縫うように進み、見事に海峡の出口まで潜水艦を導き抜いた。

10海里にわたる航路で、沿岸砲台から放たれたトルコ軍の砲弾が至近で炸裂する様子を随所に目撃しながら進んだ。それに対してホルブルックが出した返答の命令は――「昼食を出せ!」だった。そしてついに14時10分、潜水艦はケープ・ヘラス岬の西2海里で浮上し、護衛として待ち構えていた2隻のイギリス駆逐艦を確認した。

司令塔の小さなハッチが開かれた瞬間、甲板に駆け寄った駆逐艦の水兵たちが目にしたのは、艦内から噴き出す黄緑色の蒸気だった!

それは、乗員たちがしばらくの間吸い続けてきた有毒な空気だった。艦内は深刻な酸素不足に陥っており、ガソリン機関を始動できるようになるまでに30分以上もかかったほどだった。

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トルコ戦艦「メスディエ」

この歴史的な武勲により、ノーマン・ホルブルックにはヴィクトリア十字章(VC)が授与された。これは第一次世界大戦におけるイギリス海軍将校として初の受章であり、潜水艦乗りとしては史上初の栄誉でもあった。一方、浅瀬に転覆沈没した「メスディエ」は後にトルコ側によって浮揚・修理され、沿岸防衛任務に再就役したことでも知られている。

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