古代の歴史

少数精鋭の小国軍!七年戦争で輝いたシャウムブルク=リッペの栄光

少数精鋭の小国軍!七年戦争で輝いたシャウムブルク=リッペの栄光

神聖ローマ帝国の小邦、シャウムブルク=リッペ

シャウムブルク=リッペ伯領は、ドイツ国民の神聖ローマ帝国を構成していた数百におよぶ小ドイツ諸邦の一つでした。七年戦争(1756年~1763年)――まさに世界規模の大紛争――において、この小国はプロイセンと、その栄光ある国王フリードリヒ大王の側に立ちます。統治者ヴィルヘルム伯が父から受け継いだのは、わずか1個中隊の擲弾兵衛隊のみ。これこそが同国の全軍だったのです。

シャウムブルク=リッペ歩兵連隊

しかし新統治者はほどなく軍備の拡充を決意します。単一中隊は4個中隊からなる大隊へと改編され、1756年には擲弾兵1個中隊とマスケット銃兵4個中隊を擁する大隊となりました。1757年には、それぞれ擲弾兵1個中隊、銃兵3個中隊、騎兵1個中隊で編成される2個大隊を持つ連隊へと昇格します。さらに1760年には、各中隊に軽砲1門が配属されました。名誉上の指揮官は伯爵自身でしたが、実戦での指揮はフォン・ベーム大佐が執りました。1757年4月24日、連隊は西ドイツでプロイセンの宿敵フランスと戦う同盟軍(イギリス、ハノーファー、ヘッセン)に加わったのです。

連隊はハステンベックの戦いで戦火の洗礼を受けました。とりわけクレーフェルトの戦い(1758年)では、防波堤のごとくフランス軍の攻撃を次々と打ち砕き、際立った武功を挙げています。同年、同盟軍にとって不運に終わったルターベルクの戦いにも参加し、撤退戦では後衛を務めて敵のあらゆる攻撃を撃退し、再びその名を高めました。1759年には有名なミンデンの戦いに参戦。同盟軍は各国部隊ごとにフランス軍を破りましたが、イギリス軍の失策のため、本来なら可能だった敵の完全打倒には至りませんでした。連隊はさらにフィリングハウゼンの戦い(1761年)とヴィルヘルムスタールの戦い(1762年)でも戦っています。

名高いカラビニエールと猟兵たち

カラビニエール「軍団」は1753年に編成されました。75名の騎兵と50名の徒歩散兵で構成され、騎兵たちは重武装でした。胴と腕をすっぽり覆う胸甲をまとい、刀剣、短銃身のマスケット銃(カービン)、そしてピストル2丁を携行しています。のちに騎兵の兵力は倍増されました。兵力こそ小規模でしたが、この軍団は独自の歴史を刻み、隊員たちは捕虜を取らぬ猛勇にして容赦なき戦士として恐れられました……。軍団は1757年のハステンベックの戦いで戦火を経験しますが、特筆すべきは1758年のメーレの戦いです。わずか40名でフランス軍の強力な突撃を撃退してみせたのです。猟兵中隊は前述のとおり当初カラビニエールに付属していましたが、のちに独立部隊となり、大小11の戦闘で卓越した働きを見せました。

砲兵と工兵

1752年、領邦砲兵隊が創設されました。当時、工兵も砲兵隊に併せて編入されています。工兵の長を務めたのはレーマー大尉で、当時のヨーロッパでも屈指の技術者と謳われた人物でした。砲兵隊は当初109名でしたが、七年戦争の勃発とともに400名へと増強されます。装備は軽3ポンド砲29門、8ポンド砲4門、重12ポンド砲2門、重18ポンド砲3門、榴弾砲3門、そして臼砲4門でした。ルターベルクの戦いでは、28名の砲兵と2門の砲からなる一隊が最後の一瞬まで戦い抜き、全員が自らの大砲のもとで討ち死にしました。

少数精鋭の小国軍!七年戦争で輝いたシャウムブルク=リッペの栄光

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少数精鋭の小国軍!七年戦争で輝いたシャウムブルク=リッペの栄光

リッペの名高い「黒いカラビニエール」。