古代の歴史

800騎で挑んだ11対1の夜襲――グロドノでピョートル大帝が味わった屈辱の敗北

800騎で挑んだ11対1の夜襲――グロドノでピョートル大帝が味わった屈辱の敗北

大北方戦争は1700年、ロシア・ザクセン=ポーランド・デンマークの3国が「若き新王なら攻略できる」と踏んでスウェーデンへの攻撃に踏み切ったことで始まった。ところがスウェーデンの新国王カール12世は、期待にまるで応えることなく、むしろ次々と敵軍を打ち破り、やがて世界史上でも有数の名将としてその名を轟かせることになる。

1708年、グロドノ(現ベラルーシ領)での戦いは、彼の圧倒的な機動力、戦術的柔軟性、そして抜け目のない読みが最高峰に達した瞬間と言われる。しかも目の前にはロシア皇帝ピョートル大帝自身がおり、兵力は自軍の実に11倍に上っていたのである。

ツァーリの目前へ

1708年の冬、スウェーデン軍は当時ポーランド領(現ベラルーシ)であった地域の奥深くまで侵攻していた。1708年1月26日、小規模ながら精規模ながら精鋭ぞろいの軍を率いるカール12世は、グロドノまで一撃の圏内に迫っていた。そこへ、宿敵ロシアの皇帝ピョートルが9,000人の兵を率いて同市に入城したという報せが舞い込んだ。この部隊はツァーリ自身が随行するロシア軍の先遣隊であった。

カールは即座に閃いた。強烈な一撃でツァーリを捕らえるか、あるいは討ち取ることができれば、ロシアを戦争から脱落させることもできるかもしれない――。こうして彼はわずか800名の兵を率い、11対1という圧倒的に不利な兵力比など意に介さず、電光石火の速さでグロドノへ向かった。「速さこそ力なり」という古来の軍事格言がある。戦うスウェーデン王は、その実践に向けて出陣したのである。

ネマン川の橋を襲う

市の郊外にはネマン川が流れており、そこに架かる橋には、ピョートル大帝が警備のために2,000人の兵を配置していた。突如、橋上のロシア兵たちの耳に叫び声が飛び込んできた。恐怖に震えながら目を凝らすと、剣を高く掲げたスウェーデン王が800の騎兵を率いて闇の中から突進してくるではないか。奇襲に先立ち、スウェーデン兵たちは祈りを捧げ、そして鬨(とき)の声「奴らにかかれ!」を上げていたのだ。

ロシア兵は応戦しようとしたが、恐慌状態にあったため射撃はほとんど命中せず、スウェーデン側の死者はわずか11名にとどまった。ロシア側の損害も死者56名と決して大きくはなかったが、引き起こされた混乱は筆舌に尽くしがたいものだった。

本営を逃げ出した皇帝

市内ではパニックがピョートル大帝の本営にまで伝わり、怯えた皇帝は即座にベレジナ川の背後への撤退を命じた。夜明けになってようやく何が起きたのかを悟ったツァーリは激怒し、3,000人の兵を繰り出して、少数のスウェーデン兵から市を奪還するとともに、可能ならば傲慢なカールを討つか生け捕りにせよと厳命した。

ロシア軍は夜闇に紛れて攻撃を開始した。ところが、迎え撃ったのは起きていたわずか30名のスウェーデン衛兵だけだったにもかかわらず、彼らは誰の予想をも裏切り、攻撃を見事に撃退してしまったのだ!銃声で目を覚ましたカールと他の兵士たちは、今度こそ逆に敵へ殺到し、敗者に多大な損害を負わせて四散させた。ロシア軍とその皇帝にとって、おそらくこれ以上ないほど屈辱的な敗北の一つとなったのである。

勝利の先に待っていた運命

このグロドノの夜襲は、カール12世の胆力と指揮の妙味を象徴するエピソードとして語り継がれている。しかし皮肉なことに、この勇躍も長くは続かなかった。翌1709年のポルタヴァの戦いでスウェーデン軍は壊滅的な敗北を喫し、大北方戦争の趨勢は一変することになる。だが少なくともこの夜、800騎のスウェーデン兵が11倍の敵前にあって成し遂げた偉業は、軍事史上に燦然と輝く「速度こそ力」の証明として記録されている。