「上エジプト」「下エジプト」は、それぞれ独立した国として「エジプト」と呼ばれているわけではありません。この二つは、古代エジプトを構成していた二つの地域を指す歴史的な名称です。現在のエジプト・アラブ共和国という国全体が、かつてはこの二つの地域から成り立っていました。
上エジプトと下エジプトの位置関係
一般的に地図では上が北・下が南を表すため、直感に反して感じられるかもしれませんが、上エジプトは国土の南部、下エジプトは北部にあたります。
- 上エジプト(Ta-Shemau):ナイル川沿いの渓谷地帯。アスワンからカイロ付近まで続く細長い地域で、古代には葦(アシ)を象徴としました。王冠は白色の「ヘジェト」です。
- 下エジプト(Ta-Mehu):ナイル川が地中海に注ぐ三角州(デルタ)地帯。古代にはパピルスを象徴とし、王冠は赤色の「デシュレット」でした。
なぜ南が「上」で北が「下」なのか?
この一見不思議な命名の鍵を握るのがナイル川の流れです。ナイル川は中央アフリカの高地から地中海へ向かって、南から北へと流れています。そのため、
- 川の上流側=南が「上エジプト」
- 川の下流側=北が「下エジプト」
と呼ばれるようになりました。つまり、方位ではなく「川の上り・下り」に基づいた命名なのです。
二つの地域の統一と「エジプト」の誕生
紀元前3100年頃、上エジプトの王ナルメル(メネス)が下エジプトを征服し、二つの地域がひとつの国家として統一されたと伝えられています。これ以降、ファラオは両地域の支配者であることを示すため、白い王冠と赤い王冠を組み合わせた「プシェント(二重王冠)」を被るようになりました。
ちなみに「エジプト」という国名自体は、ギリシャ語の「アイギュプトス(Aigyptos)」に由来し、これはメンフィスの大神殿を指す古代エジプト語「フト・カー・プタハ」が変化したものだと言われています。
まとめ
上エジプトと下エジプトは別々の国名ではなく、古代エジプトの南部(ナイル渓谷)と北部(デルタ地帯)を指す地域名です。ナイル川が南から北へ流れることから、上流の南が「上」、下流の北が「下」と呼ばれるようになり、紀元前3100年頃の統一によって、今日の「エジプト」という国家の基礎が築かれました。