古代の歴史

中世の地図の中心はなぜエルサレムだったのか?

中世の地図の中心は「エルサレム」

中世ヨーロッパで描かれた世界地図、いわゆる「T-O図(オルビス・テラルム)」と呼ばれる地図では、その中心にエルサレムが置かれることが一般的でした。当時の人々にとって、エルサレムは文字通り「世界の中心」だったのです。

エルサレムが中心とされた2つの理由

1. キリスト教における最も神聖な土地だから

エルサレムはイエス・キリストが十字架にかけられ(磔刑に処され)、復活したとされる場所です。キリスト教徒にとって救済の歴史が始まった聖地であり、信仰の原点として特別な意味を持っていました。そのため、地図の中心に置くことで、キリスト教こそが世界の軸であるという思想が視覚的に表現されていたのです。

2. 十字軍国家「エルサレム王国」の首都だったから

さらに、12世紀には第1回十字軍の結果として建てられた十字軍国家「エルサレム王国」の首都となりました。政治的・宗教的な両面で重要な拠点であったことは、エルサレムの地位を一層強固なものにしました。

エルサレムを基準に描かれた世界

こうした背景から、中世の地図製作者たちはエルサレムを地図の中央に配し、その他の地域や大陸(アジア、ヨーロッパ、アフリカ)をそれを基準として相対的に配置していました。有名な「ヘレフォード・マッパ・ムンディ」や「エプストルフの世界図」などにも、同様の構図が見られます。

つまり中世の地図とは、単なる地理情報ではなく、当時の世界観や宗教観を映し出す思想的な作品だったといえるでしょう。