古代の歴史

1940年のミルの戦い:ナチス・ドイツの大軍を迎え撃ったオランダ軍の英雄的防衛

1940年のミルの戦い:ナチス・ドイツの大軍を迎え撃ったオランダ軍の英雄的防衛

ミルの戦い――ピール・ラーム防衛線の要

オランダ南部ノルトブラバント州の村ミル(Mill)は、ベルギー国境にほど近く、マース川の河岸からも遠くない場所に位置しています。1940年当時、この村はオランダ東部を守る「ピール・ラーム防衛線」の重要拠点の一つでした。オランダ軍はこの周辺に47門の火砲を配備し、歩兵2個大隊を展開させていました。

入念に構築された防御陣地

機関銃座は互いに200〜300メートルの間隔で配置され、その前方には灌漑用水路が走り、天然の対戦車壕として機能していました。砲兵陣地の前面には地雷原が敷設され、有刺鉄線で覆われた塹壕網によって各陣地が結ばれていました。さらに、域内のすべての橋と鉄道線路にはあらかじめ爆薬が仕掛けられていました。

火力としては、1881年に制式採用された由緒ある84mm砲12門と、57mm歩兵随伴砲8門(各大隊に4門ずつ)からなる砲兵部隊に加え、工兵中隊も配備されていました。戦闘中の増援到着により、オランダ軍は最終的に約2,000名の兵力を擁することになります。指揮を執ったのは、アドリアヌス・アントニウス・ファン・ナイナーテン中将率いる第3軍団です。

対するドイツ軍の戦力

これらの部隊に対峙したのは、ゲルハルト・カウフマン中将率いるドイツ軍第256歩兵師団でした。ミルの陣地を迂回できないドイツ軍は、正面からの強襲を余儀なくされます。

ドイツ軍は攻撃に際して装甲列車(無装甲)も投入しました。もう一つの列車には、シェンク少佐指揮下の第481歩兵連隊第3大隊が乗り込んでいました。この大隊は機関銃40丁、迫撃砲15門、対戦車砲3門、75mm砲2門、火炎放射器4基という重武装を誇っていました。

奇襲成功から包囲されるまで

1940年5月10日午前4時30分頃、ドイツ軍はオランダ侵攻開始からわずか30分でミルの陣地前に到達しました。オランダ軍は待ち構えていたものの、接近してきた2本の列車を自軍のものと誤認し、発砲を見合わせます。この判断の遅れにより、ドイツ軍はオランダ軍陣地の後方約1.5キロまで無傷で侵入することに成功しました。

下車したドイツ軍大隊は、奇襲によってオランダ軍の防御線を突破したと報告します。そこでシェンク少佐は装甲列車を後方へ戻そうとしましたが、すでに事態を把握したオランダ軍は列車を脱線させました。列車に残っていた僅かなドイツ兵は降車し、近傍のオランダ軍砲兵陣地の攻略を試みましたが、失敗に終わります。

その間、ドイツ軍大隊はオランダ軍砲兵陣地を背後から攻撃しようとしましたが、突然のオランダ軍砲撃にさらされ、約1時間にわたって釘付けにされました。続く砲兵陣地への攻撃もまた撃退されています。

やがて南からの新たな攻撃でドイツ軍はオランダ軍の野砲9門を奪取しました。攻勢を続ける中で次の機関銃座の攻略を図りましたが、ここで一人のオランダ兵が銃座内に閉じこもり、猛烈な射撃を浴びせて単身ドイツ軍を退却へ追い込みます。

ドイツ軍大隊の主力は装甲列車が脱線した地点まで後退し、今度はオランダ軍の前進陣地を側面から攻撃しました。圧倒的に不利な状況ながら、オランダ軍は4時間にわたり勇敢に抵抗を続け、抵抗が収束したのはようやく午前11時頃のことでした。

反撃、増援、そして決着

ドイツ軍は半径約1,500メートルの防衛圏を築き、これ以上の行動が取れないまま増援を待ちました。一方、防御線に生じた隙間を危惧したオランダ軍は、騎兵連隊(オートバイ化されたハッサール部隊)をミルへ急派します。

到着したハッサール部隊は即座に反撃に転じ、ドイツ兵を輸送していた列車を破壊しました。しかし正午頃、ドイツ軍第481歩兵連隊の残り2個大隊が戦域に到着し、直ちに攻撃を開始します。

とはいえ、これらの部隊もオランダ軍に阻まれて孤立した第3大隊との合流に失敗しました。その間もオランダ軍ハッサール部隊の反撃は続き、ドイツ軍が占領していた陣地は次々と奪回されていきます。

同時に、第481歩兵連隊本体の攻撃も芳しくありませんでした。ドイツ軍はオランダ軍の砲兵線の前で足止めされ、逆に砲撃を受ける有様でした。それでも連隊長ヴェーバー中佐は、手持ちの全兵力を投じて攻撃の再開を決断します。

しかし粘り強いオランダ軍の防御を前に、ドイツ軍の攻勢は多大な流血を払う失敗に終わりました。ドイツ軍砲兵による支援射撃が始まったのは18時になってからで、この頃には第456歩兵師団も戦域に到着していました。6個大隊規模のドイツ軍の対面に立っていたのは、わずか360名のオランダ兵でした。

さらにドイツ空軍も加わり、オランダ軍陣地へ執拗な爆撃が繰り返されます。それでもドイツ軍歩兵が動き出すたび、防御側から容赦ない射撃が浴びせられました。ドイツ軍がようやくオランダ軍の防御線に突破口を開けたのは、夜22時のことでした。

敵に甚大な損害を与えたオランダ軍部隊は、ここで撤退命令を受け入れます。ドイツ軍の死傷者は500名を超えたのに対し、オランダ軍の損害は80名にとどまりました。加えて、戦闘ではオランダ人民間人9名が命を落としています。ドイツ軍はミルにおける敵の英雄的な防衛のために丸一日を浪費することとなりました。しかし不幸なことに、オランダ軍にはこの戦果を戦略的に活かすための予備兵力が存在しなかったのです。

1940年のミルの戦い:ナチス・ドイツの大軍を迎え撃ったオランダ軍の英雄的防衛

当地域の防衛を担ったオランダ軍のアドリアヌス・アントニウス・ファン・ナイナーテン中将。

1940年のミルの戦い:ナチス・ドイツの大軍を迎え撃ったオランダ軍の英雄的防衛

脱線させられたドイツ軍の列車。

1940年のミルの戦い:ナチス・ドイツの大軍を迎え撃ったオランダ軍の英雄的防衛

用水路沿いに展開するオランダ軍の自転車部隊。

1940年のミルの戦い:ナチス・ドイツの大軍を迎え撃ったオランダ軍の英雄的防衛

オランダ軍の84mm砲。1881年の制式採用という由緒ある火砲だった。