1066年はイングランドの歴史における大きな転換点となった年です。この年、イングランドでは三つの重要な戦いが相次ぎました。その一つが、ノルウェー王ハラルド・ハードラーダ(苛烈王)がヨーク近郊で戦った「フルフォードの戦い」です。
まず押さえておきたいのは、フルフォードでの戦闘は確かに存在したという点です。1066年9月20日、ハードラーダと、追放された元ノーサンブリア伯トスティグ・ゴドウィンソンの連合軍は、ノーサンブリア伯モーカーとマーシア伯エドウィンの率いるイングランド北部の軍と衝突し、これを打ち破りました。
フルフォードの戦いでノルウェー軍が勝利した理由
1. 歴戦の精鋭と優れた指揮官
ハードラーダは若き日にビザンツ帝国のヴァランギア親衛隊として各地を転戦した歴戦の勇士でした。彼の率いるノルウェー軍は実戦経験に富む精鋭揃いで、徴集兵が中心のイングランド北部軍を圧倒しました。
2. 兵力の優位
ノルウェー軍は推定7,000〜10,000人規模だったとされ、対するモーカーとエドウィンの軍は約5,000人程度と考えられています。数の上でもノルウェー側が有利でした。
3. 渡河の隙を突いた戦術
イングランド軍は川を渡って攻撃を仕掛けましたが、渡河中の部隊は隊列が乱れやすく、待ち構えるノルウェー軍の格好の標的となりました。ハードラーダはこの弱点を見逃さず、各個撃破に成功しました。
4. トスティグの地元での知識
トスティグはかつてノーサンブリアを統治していたため、地域の事情に精通していました。彼の参戦は情報面での利点をもたらすと同時に、イングランド内部の政治的分裂をも象徴していました。
勝利の代償――5日後のスタンフォード・ブリッジの戦い
しかし、フルフォードでの勝利は長くは続きませんでした。イングランド王ハロルド2世(ゴドウィンソン)は、南岸でノルマンディー公ウィリアムの侵入に備えながらも、驚異的な強行軍で北へ向かいました。
1066年9月25日、ハロルド2世の本隊は、ヨーク東のスタンフォード・ブリッジで休息中だったノルウェー軍を奇襲しました。不意を突かれたノルウェー軍は壊滅し、ハードラーダ自身も戦死。トスティグもまた命を落としました。
こうしてハードラーダのイングランド遠征は、初勝利からわずか5日で終わりを告げました。この戦いは一般に「ヴァイキング時代の終焉」を象徴する出来事とされています。
まとめ
フルフォードの戦いは確かに実在し、ハードラーダはそこで勝利を収めました。勝因は、歴戦の精鋭部隊、兵力の優位、そしてイングランド軍の渡河時の隙を突いた戦術にありました。しかし、急行してきたハロルド2世の本隊によりスタンフォード・ブリッジで決定的な敗北を喫し、ハードラーダは戦死します。1066年のイングランドの覇権は、最終的にヘイスティングスの戦いで勝利したウィリアム征服王の手に帰ることとなるのです。