ローマ帝国は、現在「中東」と呼ばれる地域を「オリエンス(Oriens)」、すなわち「東方」あるいは単に「東(The East)」と呼んでいました。ラテン語で「東」を意味するこの言葉は、ローマ人にとって西方のローマから見た太陽が昇る方向の大地を指す、自然で直感的な表現でした。
「オリエンス」が指し示した広大な地域
この用語は、今日のトルコ、シリア、レバノン、イスラエル、ヨルダン、イラク、さらにはエジプトの一部にまで及ぶ広大な領域を包括的に表すものでした。これらの地域は、豊かな農業地帯や重要な交易路を擁し、ローマ帝国の経済と戦略において極めて重要な位置を占めていました。
とりわけ4世紀末には、ディオクレティアヌス帝による行政改革の一環として「オリエンス管区(Diocesis Orientis)」が設置され、シリアのアンティオキアを中心とする東方統治体制が整えられました。これにより「オリエンス」は、単なる方位の概念から正式な行政区画の名称へと発展していきました。
「中東」という言葉は19世紀の産物
興味深いことに、私たちが日常的に使う「中東(Middle East)」という用語そのものは、ローマ時代には存在しませんでした。この言葉が造られたのは19世紀に入ってからのことで、欧米諸国が東方との関係を地理的に分類する過程で生まれた近代的な概念です。
つまり、古代ローマ人の視点では、そこは「中東」ではなく、あくまで帝国の果てに広がる「東方=オリエンス」だったのです。呼称の変遷は、時代ごとの政治的・文化的な視点の違いを如実に物語っています。