西暦79年、イタリア半島のポンペイを壊滅させたヴェスヴィオ火山の大噴火。この悲劇的な年に、ローマ帝国を統治していた皇帝は誰だったのでしょうか。
年初はウェスパシアヌス、噴火の時はティトゥス
西暦79年の前半、帝国の皇帝であったのはフラウィウス・ウェスパシアヌス(通称ウェスパシアヌス)です。彼は「四皇帝の年」と呼ばれる内乱を制し、69年に即位してフラウィウス朝を開きました。しかし、79年6月23日に死去し、帝位は長男のティトゥスに引き継がれました。
つまり、ヴェスヴィオ火山が噴火してポンペイやヘルクラネウムを火山灰と火砕流で埋め尽くした79年8月(一説には10月)の時点で、皇帝の座にあったのはティトゥスでした。
若き皇帝ティトゥスと災害対応
即位からわずか数ヶ月で大噴火という国難に見舞われたティトゥスは、被災地への救援活動を積極的に指揮したと伝えられています。元老院議員の現地派遣や復興資金の拠出など、迅速な対応ぶりが古代の歴史家たちによって記録されています。
残念ながらティトゥスの治世は短く、81年に死去しました。その後は弟のドミティアヌスが帝位を継ぎ、フラウィウス朝は続いていきます。
まとめ
西暦79年は、年初こそウェスパシアヌスが皇帝でしたが、同年6月の彼の死後は息子のティトゥスが帝位を継承しました。ポンペイの悲劇として知られるヴェスヴィオ火山の大噴火は、まさにこのティトゥスの治世下で起こったのです。