古代の歴史

ビクトリア朝時代の農業労働者の賃金はどれくらいだったのか?

ビクトリア朝の土地労働者――その賃金の実態

ビクトリア朝時代(1837年~1901年)の農業労働者(土地労働者)の賃金は、勤務する地域、担当する仕事の種類、そして労働者の経験年数によって大きく異なっていました。一律の基準があったわけではなく、同じ国の中でも格差が存在していたのです。

19世紀を通じた賃金の変遷

19世紀初頭のイングランドでは、男性農業労働者の平均的な週給は10シリング前後でした。シリングは当時の通貨単位で、1ポンドが20シリング、1シリングが12ペンスに相当します。世紀の終わりには週15シリング前後へと上昇しましたが、それでも今日の基準で見れば非常に低い水準にとどまっており、多くの農業労働者は貧困の中で暮らしていました。

現金以外の支給――住居・食料・燃料

現金の賃金に加えて、土地労働者には住居や食料、燃料といった現物支給が提供されることも少なくありませんでした。しかし、こうした恩恵も多くの場合ごくわずかなもので、農業労働者たちの全体的な生活環境は決して良いものではありませんでした。

低賃金が生んだ不満と社会不安

低い賃金と劣悪な生活条件は、農村部に広範な不満と混乱をもたらしました。1830年代から1840年代にかけて、イングランドでは農業暴動が相次ぎ、特に1830年から31年にかけて発生した大規模な騒擾は「スウィング暴動」として知られています。

同時に、多くの土地労働者は賃金と労働条件の改善を求めて労働組合への加入を進めました。1872年にはジョセフ・アーチの主導により全国農業労働者組合(National Agricultural Labourers' Union)が設立され、農業労働者の権利向上のための組織的運動が本格化していきました。