古代の歴史

中世の城に「跳ね橋」は本当にあったのか?落とし格子を動かすのに必要な人数とは

映画やゲームの影響で、「中世の城には必ず跳ね橋(はねばし)があり、敵が近づくと橋を引き上げて城門を閉ざす」というイメージを持っている人は少なくありません。しかし、歴史的な事実は少し異なります。

中世の城に可動式の「跳ね橋」は多くなかった?

実は、現代の私たちが思い浮かべるような可動式の「跳ね橋」は、中世において想像されているほど一般的ではありませんでした。多くの城では、堀の上には固定された木造や石造りの橋が架けられており、城門の防御を実際に担っていたのは「落とし格子(ポーカリス)」だったのです。

跳ね橋が本格的に普及するのは、むしろ中世後期以降のことであり、「跳ね橋だらけの中世」というイメージは、後世の物語や絵画によるロマンチックな演出が強めた側面があります。

落とし格子の操作に必要なのは、たった一人

では、重厚な城門の開閉には大勢の人手が必要だったのでしょうか?答えは意外にも「ノー」です。

落とし格子は通常、オーク材(ナラ材)などの頑丈な木材に鉄で補強を施した構造で、門柱に設けられた溝(スリット)に沿って上下する仕組みでした。操作は、門の上部にある小部屋(ゲートハウス)内に備えられた巻き上げ機(ウィンドラス)とロープ、滑車を用いて行われます。

テコの原理と滑車の力を活かせる構造のため、格子がかなりの重量であっても、通常はたった一人の人間でも開閉できたとされています。さらに、非常時にはロープを切り離すだけで格子が自重によって一瞬で落下するため、侵入者を素早く防ぐことが可能でした。

まとめ

中世の城の防御は、華々しい跳ね橋よりも、地味ながら確実に機能する「落とし格子」に大きく依存していました。そしてその開閉に必要だったのは、大勢の兵士ではなく、わずか一人の人力だったというのが実情なのです。