イングランド内戦を指揮し、護国卿として清教徒革命期のイングランドを統治したオリバー・クロムウェル。彼には9人の子どもがいましたが、その中には若くして世を去った者や、激動の時代に翻弄された者が少なくありません。本記事では、特によく知られる3人の子ども――長男ロバート、次女エリザベス、そして後継者となった三男リチャード――の死因と人生について詳しく見ていきます。
1. 長男ロバート・クロムウェル(1621年〜1639年)
ロバートはクロムウェルの長男として1621年に生まれました。しかし、天然痘に長期間苦しみ続け、1639年5月14日、わずか17歳でこの世を去りました。
息子の死はクロムウェルにとって大きな打撃となり、彼は悲嘆と喪失の思いをつづった手紙を何通も残しています。当時の天然痘は有効な治療法が存在せず、老若男女を問わず命を奪う恐ろしい感染症でした。医学が発展途上だった17世紀ならではの悲劇といえるでしょう。
2. 次女エリザベス・クレイポール(1629年〜1658年)
エリザベスは1629年7月2日に生まれたクロムウェルの次女です。29歳を迎えたばかりの1658年8月6日、娘を出産した直後に亡くなりました。
歴史記録には正確な死因は明記されていませんが、出産時に重篤な合併症を患っていたことが分かっています。当時の出産は非常に危険を伴うもので、産褥熱などの感染症も大きな脅威でした。なお、夫のジョン・クレイポール自身はその後も生き延び、1692年に亡くなるまで約30年以上を生きています。
3. 三男リチャード・クロムウェル(1626年〜1712年)
リチャードは1626年10月4日生まれの三男で、幼少期の危機を乗り越えて成人しました。父の死後は第2代護国卿として後を継ぎましたが、その人生は決して平坦なものではありませんでした。
政治的手腕に恵まれないまま1659年に護国卿の座を退いたリチャードは、1660年の王政復古に伴う政治的報復を恐れて大陸へ亡命します。フランスやジュネーブなどで「ジョン・クラーク」という偽名を使って身を潜めた時期もあるほどでした。父の旧部下たちによる支援の動きもありましたが、二度と公的な表舞台に立つことは叶いませんでした。
晩年はイングランドへ戻り、人目を避けて静かに隠棲。1712年7月12日、85歳という長寿でこの世を去りました。兄弟の中では最も長く生きたものの、かつての栄光を取り戻せないまま歴史の陰に消えた人物といえます。
まとめ:時代が映し出した3つの運命
クロムウェルの子どもたちの運命は、17世紀の医療水準の低さと政情の不安定さを如実に映し出しています。長男ロバートは天然痘という感染症に、次女エリザベスは出産の危険に命を落とし、三男リチャードは政治変動によって表舞台から去ることを余儀なくされました。
彼らの人生は、権力の頂点に立った家系であっても、病や時代の激流には抗えなかったことを物語っています。