1453年にオスマントルコ(オスマン帝国)によって陥落し、多くの学者たちが古代ギリシャやローマの貴重な写本を携えて逃亡した都市は、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)です。
コンスタンティノープル陥落とは
1453年5月29日、オスマン帝国のスルタン・メフメト2世率いる軍勢が、千年にわたり東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都として栄えたコンスタンティノープルを攻略しました。この出来事は「コンスタンティノープルの陥落」と呼ばれ、中世の終わりと近世の始まりを画する歴史的転換点とされています。
学者たちの逃亡とルネサンスへの影響
都市が陥落する前後、ビザンツ帝国の学者や知識人たちは戦火を避け、古代ギリシャ語で書かれた哲学書、科学書、文学などの写本を抱いて西欧へと逃れました。彼らの主な行き先はイタリアであり、特にフィレンツェやヴェネツィアなどで歓迎されました。
これらの失われていた古典の知識がヨーロッパにもたらされたことは、古代文化の復興を目指すルネサンス運動に大きな刺激を与えたと考えられています。ギリシャ語原典の研究が盛んになり、人文主義の発展にも寄与しました。
その後のコンスタンティノープル
陥落後、この都市はオスマン帝国の新たな首都となり、次第に「イスタンブール」として知られるようになりました。東ローマ帝国の滅亡により、キリスト教世界の重要な拠点がイスラム勢力の手に渡ったことは、当時のヨーロッパ諸国に大きな衝撃を与えました。