古代の歴史

アンカス率いるモヒガン族の戦力は? ピクォート戦争開始時の兵力比較

ピクォート戦争開始時の両部族の戦力

1630年代にニューイングランドで勃発したピクォート戦争(1636年〜1638年)の開始時点において、ササカス(Sassacus)酋長に率いられたピクォート族は、ナラガンセット族から借り入れた戦士を含めて、約1,000人から1,500人規模の戦士を擁していました。

これに対し、アンカス(Uncas)が指揮するモヒガン族の戦力は、わずか100人程度にとどまっていました。ピクォート族のおよそ10分の1以下という、圧倒的な戦力差です。

なぜこれほどの差があったのか

アンカスはもともとピクォート族の一員でしたが、ササカスとの対立により一族を離れ、独立したモヒガン族を形成しました。そのため、モヒガン族は分離したばかりの小規模な集団であり、兵力の面で大きく劣勢にありました。

この不利な状況を打破するため、アンカスはイングランド植民地(コネチカット植民地およびマサチューセッツ湾植民地)と同盟を結ぶという戦略的な選択を行いました。この決断が、後の戦争の行方を大きく左右することになります。

戦争の結末

1637年のミスティック砦襲撃では、イングランド軍とモヒガン族・ナラガンセット族などからなる同盟軍がピクォート族に壊滅的な打撃を与えました。戦争は1638年のハートフォード条約によって終結し、ピクォート族は部族としての地位を事実上失うこととなりました。

少数の戦力しか持たなかったアンカスとモヒガン族は、イングランド側との同盟によって生き残りを果たし、その後もニューイングランド地域で重要な存在であり続けました。