答え:「人民公社(じんみんこうしゃ)」
中国の大躍進運動(1958年〜1960年頃)の時代に設立された巨大な集団農場は、「人民公社」と呼ばれていました。人民公社は、毛沢東主導の下で推進された農村の集団化政策の中核をなす組織であり、中国近代史上最も重要な社会実験の一つとされています。
人民公社の誕生背景
1958年、中国共産党は短期間で工業国へ転身することを目標に掲げた「大躍進」政策を開始しました。この政策の一環として、それまでの農業生産合作社をさらに大規模に統合し、数千年にわたり続いてきた農家単位の営農形態を根本から変革する試みが行われました。
同年、河南省で最初の人民公社が誕生すると、そのモデルは瞬く間に全国へ拡大し、1958年末までには約2万5千を超える人民公社が設立されました。農村人口のほぼ全てが何らかの公社に所属する状態となったのです。
人民公社の特徴
「一大二公」の原則
人民公社は「一大二公」(規模が大きく、公有性が高い)を理念としました。一つの公社あたり平均数千世帯が所属し、土地・農具・家畜などの生産手段はすべて集団所有とされました。
農工商学兵の一体化
人民公社は単なる農業生産組織ではなく、農業・工業・商業・教育・軍事の機能を兼ね備えた「政社合一」の総合組織でした。構成員は労働に応じて賃金ではなく勤務点(工分)を受け取り、公共食堂での食事や託児所などの福祉サービスも公社が提供しました。
結果と影響
しかし、非現実的な生産目標や過酷な労働強化、虚偽の収穫報告などにより、人民公社は期待された成果を挙げられませんでした。むしろ大規模な飢饉を招き、数千万人規模の犠牲者が出たとされる「大飢饉」の一因となったとされています。
その後、1978年に始まる改革開放路線のもとで人民公社の見直しが進められ、1980年代前半までに全国で廃止されました。現在の中国では、家庭請負責任制(戸別経営)が導入され、人民公社時代の制度は歴史の一部となっています。