「アステカ文明」と「インカ文明」は、厳密には完全に「破壊された」わけではありません。両文明とも、16世紀にスペイン人コンキスタドール(征服者)によって征服されました。しかし、その過程で政治体制は崩壊し、人口の大半が失われたため、結果として文明としての姿をほぼ失うことになりました。
アステカ帝国を征服したのはコルテス
メキシコ中央部に栄えたアステカ帝国を征服したのは、エルナン・コルテス(Hernán Cortés)率いるスペイン軍です。
1519年、コルテスは約500人の兵士とともにメキシコ湾岸に上陸しました。彼はアステカの敵対部族と同盟を結びながら内陸へ進軍し、1520年には皇帝モクテスマ2世を事実上支配下に置きます。最終的に1521年、同盟部族の協力を得て首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を包囲・攻略し、アステカ帝国は崩壊しました。
インカ帝国を征服したのはピサロ
南米アンデス地方に栄えたインカ帝国を征服したのは、フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)率いるスペイン軍です。
1532年、わずか180人ほどの兵力でペルーに到達したピサロは、内乱で疲弊していたインカ帝国の皇帝アタワルパをカハマルカで奇襲して捕らえます。身代金を受け取った後、翌1533年にアタワルパを処刑し、首都クスコを占領しました。これによりインカ帝国は実質的に滅亡します。
征服を容易にした3つの要因
少数のスペイン人が巨大な帝国を征服できた背景には、以下の要因がありました。
- 伝染病の流行: ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘や麻疹などに対し、現地の人々は免疫を持たず、アステカでもインカでも人口の大部分が病死しました。特にインカでは、先代皇帝と皇太子が天然痘で亡くなり、帝位継承をめぐる内乱が発生しました。
- 内部対立と内乱: アステカは周辺部族からの反感を抱えており、コルテスはそれを利用しました。インカも継承戦争で国内が分裂しており、統一された抵抗ができませんでした。
- 武器と技術の差: 鉄製の剣・鎧、火縄銃、大砲、そして馬といった未知の兵器や動物は、現地の人々に大きな心理的・軍事的衝撃を与えました。
まとめ
アステカ文明を滅ぼしたのはコルテス率いるスペイン軍(1521年)、インカ文明を滅ぼしたのはピサロ率いるスペイン軍(1532〜33年)です。ただし、両文明の崩壊は単なる武力によるものではなく、伝染病と内紛による弱体化という土壌があったことも見逃せません。この複合的な要因こそが、二つの偉大な文明を短期間で崩壊へ導いたのです。