現代の歴史学者が東ローマ帝国を「ビザンツ帝国(ビザンチン帝国)」と呼ぶのには、いくつかの重要な理由があります。この呼称は単なる別名ではなく、帝国の歴史的特徴を的確に表すための学術的な区分として定着しました。
1. 地理的な区別のため
「ビザンツ」という名称は、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を中心とするローマ帝国の東方領土を、5世紀にゲルマン系諸部族の支配下へと移っていった西方領土から区別するために用いられます。395年の帝国分裂以降、東西で異なる歴史の道を歩んだことを明確に示す必要があったのです。
2. 文化的・言語的な変化
時代が下るにつれ、東ローマ帝国は大きな文化的・言語的変貌を遂げました。ギリシャ語が公用語となり、ビザンツ美術や建築、文学は古典古代のローマとは異なる独自の様式を発展させました。特に7世紀以降、ラテン語からギリシャ語への完全な移行が進み、帝国のアイデンティティは明確に東地中海世界のものとなっていきました。
3. 政治制度・行政体制の独自性
東ローマ帝国の行政構造や政治制度は、西ローマ帝国とは別個の進化を遂げました。皇帝権力の神聖化、中央集権的な官僚機構、テマ制と呼ばれる軍政制度など、「ビザンツ皇帝」「ビザンツ政府」という用語で表されるような特有の統治体系が形成されました。
4. 歴史叙述上の伝統
「ビザンツ帝国」という名称自体は、当時の人々が使ったものではありません。この語は、首都が建設された古代ギリシャ植民都市「ビュザンティオン」に由来し、16世紀にドイツの学者ヒエロニムス・ヴォルフによって学術用語として導入されました。その後、18世紀から19世紀にかけてモンテスキューら啓蒙思想家や歴史学者たちによって広く普及し、学界で一般的に受け入れられるようになりました。
まとめ:自称はあくまで「ローマ人」だった
興味深いことに、ビザンツ帝国の住民自身は最後まで自分たちを「ローマ人(ロマイオイ)」と呼び、自国を「ローマ帝国」と認識していました。しかし現代の学者にとって、「ビザンツ帝国」という呼称を使うことで、ローマの遺産を受け継ぎながらも、文化的・言語的・政治的に独自の発展を遂げた東側の帝国の特色を的確に区別し、理解することができるのです。