ドゥーマとは
ドゥーマ(国家ドゥーマ)とは、20世紀初頭のロシア帝国において設置された、選挙によって選出される議会の下院です。皇帝ニコライ2世が、1905年のロシア第一革命への対応として1906年に創設しました。帝政ロシアにおける最初の国民代表機関であり、ロシア政治史における重要な転換点となった制度です。
設立の背景
1905年1月の「血の日曜日事件」をきっかけに、ロシア全土で労働者や農民による大規模な抗議運動が拡大しました。これを受けてニコライ2世は同年10月、「十月宣言」を発布し、立法権限を持つ議会の設置と市民的自由の保障を約束します。こうして絶対主義体制から立憲的な体制への移行が図られ、翌1906年に第一ドゥーマが開会されました。
ドゥーマの権限と限界
ドゥーマには以下のような権限が与えられていました。
・法案の審議と採決
・国家予算の承認または否決
・政府高官への質問権
しかし、その権限は大きく制限されており、実態としては皇帝に助言を行う場という性格が強いものでした。皇帝はドゥーマを自由に解散する権限を保持しており、法律も皇帝の裁可なしには成立しませんでした。また、選挙権にも財産や身分による厳しい制約があり、国民全体を公平に代表するものではありませんでした。
四つのドゥーマと解散
第一ドゥーマは改革派が多数を占め、皇帝側と激しく対立したため、わずか数ヶ月で解散されました。その後、首相ストルイピンによる選挙法改正などを経て、計4回のドゥーマが開かれています。しかし1917年の二月革命によって帝政が崩壊すると、臨時政府期を経て、同年ボリシェヴィキが政権を掌握し、ドゥーマは正式に解散されました。
まとめ
ドゥーマは、専制体制に揺らぎを与えた1905年革命の産物として誕生した、ロシア初の本格的な国会です。権限こそ限定されていたものの、予算審議権や政府への質問権を通じて、ロシア政治に国民の声を反映させる役割を果たしました。短命に終わったものの、その経験は後のロシア議会制度にも影響を与えています。