エルンスト・レームは、第一次世界大戦後のドイツで台頭した右翼義勇軍「フライコール(Freikorps)」や、後にナチ党の私兵組織となる突撃隊(SA)における暴力的な街頭闘争に深くのめり込んでいた人物として知られています。
レームはもともと第一次世界大戦に従軍した陸軍将校でした。戦後の混乱期、彼は正規軍の枠外で展開される政治的・物理的な抗争こそが自分の居場所だと捉えており、フライコールやSAでの活動を、単なる任務ではなく戦場の緊張感と暴力を求め続ける生き方そのものとして享受していました。
残虐性とサディスティックな傾向
レームはその残虐性とサディスティックな気質で悪名高く、敵対者に対して暴行や拷問を加えることを厭わなかったと伝えられています。彼にとって暴力は目的を達成するための手段にとどまらず、それ自体を楽しむ対象でもあったとされ、この冷酷な性格は周囲に恐怖と忠誠心を同時に植え付けました。
「デア・シュレーガー」というあだ名
こうした残忍さゆえに、レームには「デア・シュレーガー(Der Schläger=殴る者、暴力者)」というあだ名が付けられました。この呼称は、街頭闘争において暴力を恐れず、むしろ快楽として受け入れた彼の性格と役割を象徴するものであり、当時の彼の評判を如実に物語っています。
その後の運命
レームはSA参謀長として組織を急速に拡大させましたが、その勢力の伸長はヒトラーや国防軍との対立を招くことになります。1934年の「長いナイフの夜」事件で粛清された彼の生涯は、戦間期ドイツにおいて暴力と政治が混ざり合った混沌とした時代を象徴するものといえるでしょう。