ローマ大火が発生したのは紀元64年
ローマ皇帝ネロの治世中、ローマ市を襲った大規模な火災——いわゆる「ローマ大火」が発生したのは、紀元64年です。火災は7月中旬(伝統的には7月18日〜19日頃)に始まり、約9日間燃え続けたとされています。
火災の被害の大きさ
この大火により、当時ローマにあった14の行政区画のうち3つが完全に焼失し、さらに7つが深刻な被害を受けたと伝えられています。神殿や公共建築物など、多くの歴史的建造物や記念碑が破壊または損傷しました。
火災の発生源
火が出たのはパラティーノの丘近くにあるキルクス・マクシムス(大競技場)周辺とされ、乾燥した夏の風にあおられて瞬く間に市街地へと広がりました。木造建築が密集していたローマの都市構造も、火災拡大の一因となりました。
ネロへの疑念と「キリスト教徒弾圧」
火災の原因については諸説ありますが、当時から「皇帝ネロ自身が再開発を狙って放火させたのではないか」という噂が流れました。有名な逸話として、ネロが火災を見物しながらトロイア滅亡の歌を歌っていたという話がありますが、史実かどうかは定かではありません。
噂を打ち消したいネロは、火災の責任を当時まだ少数派だったキリスト教徒になすりつけ、大規模な弾圧を行いました。これが後世、「ローマ大火とネロの暴虐」として語り継られる一因となっています。
火災後のローマ再建
一方で、復興にあたったネロは石造り建築の推奨や道路幅の拡張など、防火対策を盛り込んだ新しい都市計画を実施しました。ただし、その中には自らの豪華な宮殿「ドムス・アウレア(黄金宮殿)」の建設も含まれており、これが民衆の反発をさらに強める結果となりました。
まとめ
ローマ大火は紀元64年、皇帝ネロの治世下で発生し、約9日間にわたってローマ市を壊滅的な状態に陥れた歴史上最大級の都市火災です。その真相やネロの責任をめぐる議論は現代まで続いており、古代ローマ史における最も有名な事件の一つとなっています。