古代の歴史

マケドニア王フィリッポス2世の帝国はどれほど大きかったのか?

フィリッポス2世の帝国はどれほど大きかったのか

マケドニア王フィリッポス2世(在位:紀元前359年〜紀元前336年)が築き上げた王国は、当時のギリシャ世界における最強の勢力でした。その最盛期には、マケドニア本国に加えて、テッサリア、トラキア、イリュリアなど、バルカン半島の広範な地域を支配下に収めていました。

領土の範囲と支配地域

フィリッポス2世の版図は、西はアドリア海沿岸から、東はヘレスポントス(現在のダーダネルス海峡)やトラキア地方まで、北はドナウ川流域の一部にまで及びました。南方向にはテッサリアを経て中央ギリシャへ勢力を拡大し、紀元前338年のカイロネイアの戦いでアテナイ・テーバ連合軍を破ったことで、ギリシャ本土の大半がその覇権下に入ります。翌年にはコリントス同盟が結成され、フィリッポスは事実上の全ギリシャの盟主となりました。

ただし、その支配領域はあくまでもバルカン半島とエーゲ海周辺が中心であり、小アジア(現在のトルコ)への本格的な進出は、死の直前に構想された遠征計画の段階にとどまっていました。

よくある誤解:インダス川やエジプトまで支配した?

フィリッポス2世の帝国について、エジプトやリビア、さらに東はインダス川、南はアラビア海にまで達したと説明されることがありますが、これは誤りです。これらの広大な領域を征服したのは、息子のアレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)です。大王は紀元前334年に始まる東方遠征でペルシア帝国を滅ぼし、エジプトからインダス川流域に至る巨大帝国を築き上げました。

アレクサンドロス帝国の礎を築いた男

とはいえ、フィリッポス2世の功績は決して小さくありません。サリッサ(長槍)を装備したファランクス方陣や、ヘタイロイ重装騎兵を中核とする強力な軍事制度、パンゲオン山の金鉱による潤沢な財政基盤、そしてギリシャ諸ポリスを統合する政治的枠組み——これらすべてが、息子による世界帝国建設の確固たる土台となりました。

まとめ

フィリッポス2世の帝国の規模は、バルカン半島の大部分とギリシャ本土を包含する、エーゲ海を中心とした国家でした。当時としては巨大な勢力圏ですが、「西はアドリア海から東はインダス川まで」という超巨大帝国は、あくまでもその息子アレクサンドロス大王の時代に実現したものです。父が築いた軍事・政治・経済の基盤あってこそ、大王の征服事業が可能になったのだと言えるでしょう。