ポール・リビアとは?
ポール・リビア(Paul Revere、1735年1月1日〈新暦〉-1818年5月10日)は、アメリカ合衆国の銀細工師であり、アメリカ独立戦争における愛国者です。彼が最も広く知られているのは、1775年4月18日に行った「真夜中の騎行」です。この夜、リビアはイギリス軍が海路からレキシントンとコンコードへ向かっていることをアメリカ民兵に警告するため、馬で疾走しました。
幼少期と銀細工師としての修業
リビアはマサチューセッツ州ボストンに生まれました。父アポロス・リヴォワールはフランス出身のユグノー(プロテスタント)、母デボラ・ヒッチボーンはボストンの鍛冶屋の娘でした。13歳で父親に弟子入りし、銀細工師としての技術を習得します。1754年にはマサチューセッツ民兵に加わり、フレンチ・インディアン戦争に従軍しました。
政治活動への参加
戦後、リビアはボストンに戻り、自身の銀細工店を開業しました。同時に政治への関わりも深め、ボストン通信委員会の一員を務めたほか、1774年にはマサチューセッツ植民地議会に任命されています。
真夜中の騎行
1775年4月18日の夜、リビアはボストンからレキシントンとコンコードへ向かい、イギリス軍が海路から進軍していることをアメリカ民兵に伝えました。伝えられるところによれば、彼は往診に出る医師になりすましてイギリス軍の検問所を突破したといいます。レキシントンでは、バックマン酒場に滞在していたジョン・ハンコックとサミュエル・アダムズに面会し、イギリス軍接近の知らせを届けた後、さらにコンコードへと向かいました。
騎行の歴史的意義
リビアの騎行は、アメリカ独立戦争における最も重要な出来事の一つとされています。この騎行によってアメリカ民兵は素早く結集することができ、戦争最初の戦闘となるレキシントン・コンコードの戦いへとつながりました。
晩年
リビアは1783年まで独立戦争に貢献し続けました。その後ボストンに戻って銀細工業を再開し、マサチューセッツ州議会議員も務めました。また、マサチューセッツ慈善機械協会の創設メンバーの一人でもあります。
1818年、リビアはボストンで83歳の生涯を閉じました。今日でも彼は、アメリカ史上最も重要な人物の一人として記憶され続けています。